正義を振りかざす時は慎重に。
2013 / 05 / 02 ( Thu )
さきほど、Twitterでこんな記事を見つけました。
http://www.asahi.com/national/update/0501/OSK201305010192.html?tr=pc



小さい子を見ていると、だいたい女の子がやるんですよね。
お母さんや先生に「言いつけに行く」というのを。
ウチでも娘が家事をしている私のところにわざわざ来て、
「おにーちゃんが○○したのー。」
と言いつけることが時々あります。

小学生になると、掃除をせずに遊んでる男子を少し気の強い女子が怒ったりしますね。
(そして男子が「うるせー、ブス!」とかゆーて、「先生に言うわよっ。」「お前ブスのくせに性格も悪いなー。ばーか。」「なんですってー!」……なーんてバトルに発展したりしますわな。)



小さい頃から人には、『私は正しい。あなたは正しくない。』という意識はあって、正しくないことを正したいという気持ちはあるということなんだろうと思います。




しかし。

「私は正しい。あなたは正しくない。」
ということを激しい怒りを伴って表現する場合は、ものすごく慎重にならなければならない、ということは、さまざまな日常の体験の中で学ぶことができると思うのですが、
学べていない人が、想像力を欠いたまま「自分の正義」を暴走させてしまうのかもしれないですね。


といいますか。

そもそも「正しい」ということがどういうことであるか、を問うてみたことも無い人たちが暴走するのではないか、とも思います。

便利な言葉なので、「正しい」という言葉を時々私も使いますが、私の場合は
「お薬は決められた用法容量を守って正しく飲まなければならない」というような意味合いの「正しい」を使っていますが、
「正義」という意味合いの「正しい」は極力使わないようにしています。

だって、正義というのは立場によっては正義では無いことが多いからです。




怒りを伴って正義を振りかざす前に、それがほんとうに何かを良い方向に変えることができるやり方なのかどうか、をよくよく考えることができるのなら、
人を追い詰めるようなことにはならないだろうに……と、思います。


「怒り」は「正しく」使わないと、無駄に人を傷つけることになると思うのです。
自分の中で生まれた「怒り」をただ吐き出しているだけでは、何も生み出さないし、破壊的であるだけですもんね。
「怒り」を「何かを良い方向に変える」ための推進力にするというのは、高い知性と豊かな想像力が必須だと感じます。


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