『聞き手がどう受け取ったかが真実になる。』
2013 / 04 / 12 ( Fri )
先月末になりますが、こんなツイートを見かけました。


有益なことをつぶやくbot ‏@yuuekitwit_bot 3月30日

セクハラ、パワハラを代表例に、世の中聞き手がどう受け取ったかが真実になる。言い手が何を思っていても意味を成さない。言い手はそれを意識して言葉を選び、聞き手はそれを意識して考慮したら、きっともっといい世の中になる。




男と女は「言葉が通じない」とかってよく言われますけど、
そういうのだけじゃなく、一般的に、普通に誰と会話していても、この問題が常に横たわっている……と、意識している人はどれくらいおるんでしょう。

たとえば。
真意を伝えようと、それなりに私なりに考えて文章を書いてはいるんですが、
返ってきたコメントを読んで、「へ?」ってなることも時々あります。
いや、そーゆーことゆーてんのやないんやけど……って困ることもたまにあります。

私の表現がマズいってのも大きいんでしょうけど、
なんでそこをそんなふうに受け取るん?って思ってしまう時もあります。


でも、まさに「言い手が何を思っていても意味を成さない」わけで、「聞き手がどう受け取ったかが真実に」なってしまうわけです。
「なんでなんで?それちがーう。」って言わせてもらえて、それを理解してもらえるなら、そのやりとりも意味のあることにはなるけれど、
多分、そういう「双方向」であることの方が少ない気がします。

そしてそれは「言葉」だけでなく「行動」でも同じだということは、簡単に想像できると思います。



ですから。
人間のコミュニケーションにはこの構造が基盤として存在しているのだから、自分が聞き手になる時は「全部受け身で聞く」のではなくて、「1歩前に出て聞く」ように心がけてはおるのです。
もちろんフルタイム・全方位にやってるわけじゃないんですが。

言葉の向こう側を想像しながら聞く・読む

という感じですかね。
行動だったら、なんでそんな行動をとってるのかを、できるかぎりの範囲でしかないけれど、想像してみるということですね。

それで(相手の)正解に辿り着けるとは限らないし、辿り着けると思う方が思い上がりなんでしょうが、
そういう想像力を働かせながらコミュニケーションを取るように心がけるだけでも、ほんとにちょっとだけでもいい世界になれるんちゃうかな、と思います。






で。
そういう時に案外邪魔になるのが「自分の常識」みたいなもんやと思います。
自分にとってはそれが当たり前でも、他人にとっては当たり前やないことなんていっぱいある……というのは、頭では分かっていても、なかなか実践装備できないものです。

なので、「それが当たり前」とか「良い・悪い」じゃなくて、
自分はそれが好きか嫌いか、で判断してるんや、と思うようにしています。

そういう考え方が好き。
そういう考え方は好きやない。

それを基準にすると、「ただ単純に私が好きか嫌いか、なだけであって、他人の基準と違っていてもそれは好みの違いなんやから、相手を否定するのも変な話やな。」と、思えるんです。

相手を否定するんやなくて、
相手の「その言動の基となってる考え方」が好きになれん、っていうだけの話なんですよね。

そうなってくると、より建設的な会話もできるようになるんです。
建設的な会話が増えてくると、だんだん賢くなっていけるし、賢くなっていくと、どんどん賢い人と縁付くので、どんどん自分の世界をクリアなカタチで拡げていけるし、
好ましい循環になると思います。



ただし、
なんで自分は「こういう考え方は好き」で「こういう考え方は好きやない」んやろうか?
と、時々自問することも忘れてはアカンと思います。
セルフチェックは必須ですね。
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