それが誰のものか、なんてのは本当はどうでもいいことなのかもしれない。
2010 / 08 / 07 ( Sat )
昨日、筋トレの山羊座の来週分を読みましてね。
コレです。↓



2010/8/9-2010/8/15 やぎ座の空模様。


人の力を大いに借りるときですし
人からも力を借りられる時だと思います。
いえ、「借りる」というのは、
ちょっとまちがっているかもしれません。
もう少し正確に言うと
人の力を「もらう」時であるか、
あるいは
人に力を「あたえる」時期、と言えそうです。


それが返ってくるかどうか
それを返せるかどうか
よりも、もっと重大なことがあると思うのです。
それは、今目指していることを成し遂げられるか
ということです。
それが成し遂げられればもう
返したも同然です。
誰かに力を与えることで貴方の目標が達成されるなら、
そもそも貸し借りは発生していません。


人の手の中にあるものを自分のものとしたり、
自分の手の中にあるものを相手に引き渡したりするのは
なかなか勇気の要ることです。
でも、手元だけを見つめずに、
目指しているもっと大きなものに目を向ければ
それはそもそも、誰のものでもなかった
ということに気づかされるのかもしれません。
お賽銭が誰の手に渡り、それがどういう意味を持つのか、
誰だって具体的に想像できないわけではありませんが
それでも、それが「なにかになった」と信じています。
だれのものか、どこにいったか、よりも
願いそのもの、祈りの強さそのもののほうが大切で
そのためにうごかせるものは、
ここから向こうへ、向こうからここへと
自在に動かしていけるのだろうと思うのです。





最後の5行になんとも心がずしーんと来ましてねぇ。




そしたら、マイミクのたまこさんの日記に、うお!となりましてねぇ。
公開が一部限定になっとるんで、リンクはしませんけど、できることならみなさんに読んでもらいたいなー、ってくらいの素晴らしい日記でした。

たまこさんは「そんなことないですよー。」って言うと思うんだけど、いやいやほんと、素晴らしい日記でした。
でもって、ひの♪ねーさんのコメントも良かったなぁ~。


「素晴らしいポイント」はいくつかあるんだけど、その中の1つが、ヒーリングというものに対するたまこさんの解釈です。想いです。



ヒーラーは、相手をヒーリングするのではなくて、ただのキッカケにすぎない。
ヒーラーが癒すのではなくて、その人自身が癒すのだ。



よく、ヒーラーってのは「導管」みたいなもので、天や地のエネルギーを通すだけ、みたいな言い方がされますけど、それでもやっぱりヒーラーさんにエネルギーをもらって癒してもらう、という感覚だったのですよ。
私は、ね。

だから、無料のヒーリングをしてもらう、というのは、どこか「借りを作る」みたいな、そんな感覚があったんです。




でも。
筋トレにあるように、

だれのものか、どこにいったか、よりも願いそのもの、祈りの強さそのもののほうが大切

なのであって、
もしかしたら、ヒーラーと受け手の「やりとり」というのは、一方的なものでもなくて、貸し借りでもなくて、


生命が美しく巡るための共同作業


なのかもなー、と思えたんです。
だからね、無料でヒーリングしてもらっても、「ありがとう。」って心から言えれば、それでいいのかな、って思えたんです。










きっとね、
「私」が癒されるということは、「世界」が癒されるということなんだな、と思うのですよ。

そして、「私」を癒すのは、最終的には「私」しかいなくて、
「世界」を癒すために、まず「私」がいて、そして「天使」や「ヒーラー」がいて……




あー。
てことは、「ヒーリング」って「祈りそのもの」なんだねぇ…。



***********

ひの♪ねーさんのこの日記もどうぞ。
http://hanasunoniwa.blog109.fc2.com/blog-entry-734.html
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