頭の中だけで、世界を捉えようとしてるから、相対的に「濃度」が下がっちゃうんだろうな。
2009 / 11 / 24 ( Tue ) mixiの記事なんですが、これを読んでいたら、
ふと、中学生の頃の感覚が蘇ってきました。 あの時、 私は、永遠と刹那は同等なものだと、根拠もなく、そう感じたのでした。 五井先生は、 私たちは生命(身体)を、瞬々刻々(神から)いただき直している と、言いました。 上記リンクに書かれていることは、上から見た時の解説で、 五井先生の言葉は、人間の目線からの解説だな、と思いました。 量子の世界では、モノゴトは「とびとびの値」をとります。 割と身近な「電子」でさえ、原子の中にあって、エネルギー的に励起されると、「とびとびの値」で軌道を変えます。 学生の時、これが非常に不思議でなりませんでした。 なぜ、連続していないのか? 不思議でなりませんでした。 しかし、もしたしたら、物質世界においては、すべてが「非連続」なのかもしれないな、と、思うようになりました。 まるでアニメーションです。 時間が流れるのではなく、我々の意識が動くことによって、世界は「連続」しているように感じているだけなのかもしれません。 だとしたら、「永遠と刹那は同等」である、という、あの時の感覚も、あながち間違いではないよな、と思うのです。 スピリットは偏在し、過去も未来も現在も、すべてが同等で、 それらをハイヤーセルフが「残らず」チューニングしているとしたら、 「転生」という考え方すら幻想でしかなく、 すべての人生は、平行して同時存在しつつ、お互いが共鳴しあっているものなのかもしれません。 と。 こーゆーことを考えていると、 私の場合は、どちらかと言うと、空虚感に近いものがじんわりと湧いてきます。 自分が今持っている「濃度」が、現在の「生」の中だけで保持し続けたものなので、概念だけであっても、一気にパンと世界の方が広がると、相対的に「濃度」が薄まるんでしょうね。 まー、私には五井先生のお祈りがあるからまだいいけど、 一気に相対的な濃度がぐんと下がって、そこに「ヴォイド」を感じる…なーんてこともあるんでしょうねぇ。 それって、コワイよねーーーー (ふつーの人間の精神では耐えられんかもしれん、という怖さね。それそのものがコワイというわけではないよ。) なので、宗教的にもスピ的にも、すべては愛だーーー、光だーーーー、喜びだーーー、と、口を酸っぱくして言うんでしょうなぁ〜…。 |
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