生きているって、なんだかスゴいことなのかも。
2009 / 03 / 22 ( Sun )
お彼岸だってーのに、お墓参りできてません。
ごめんなさい。


たとえば、阿弥陀さまやイエスに自分の『真』からおすがり(お任せ)することで、輪廻から脱出しちゃったよ、というご先祖さまは問題無いんですけど。

凡夫のまま迷いや執着や怨みや悲しみをいっぱいいっぱい抱えたまま幽界にいるご先祖さまには、生きてる子孫がガンガンお経をあげないと、いいところ(って、生まれ変わるためのサポートセンターのせいぜい入り口みたいなところやと思うんだが)に行けない……というのも、ある意味本当だと思うんですよ。


てのも。


幽界って、現象界よりも想念が「具現化」しやすいですから、迷いのある人には迷いのある世界が速攻で展開され、怨みのある人には怨みのある世界が速攻で展開されてしまうわけです。
無神論者で、死んだら何も無くなるんだ、と思ってる人が死んだら、「何もないところ」を彷徨い続けることになっちゃうわけです。


そうなると、なかなかそこから抜け出せないだろうな、というのは簡単に想像できますね。

「迷いの世界」「怨みの世界」「戦いの世界」「何もない世界」にいる本人(魂)が、ハタと気づく瞬間まで、延々と続くのです。


結局は、その人が「ハタと気づく」ことがないと、守護の神霊の手助けも受けられないんです。
自分を救うのは自分しかないということです。
生きてても死んでからでも同じです。
シンプルです。


んじゃ、「ハタと気づく」まで、周囲は待ってるしかないか、というと、これがですね、生きている子孫の祈り(お経)がそのご先祖さまが閉じこもってる『意識』の殻をちょっとずつちょっとずつコンコンとつつくことになるらしいんですよ。

で、カラにヒビが入ると、「ハタ」の瞬間がやってくるわけですね。



不思議ですよね。

現象界の我々って、一番ダメダメな魂やん、みたいな感覚になることが多いんですけど、実は違うんじゃないか、とここ数年は思うんです。




なぜ自分が、ここにこうして生きているのか、を、深く深く感じてみることは、いつもいろんな発見をもたらしてくれます。

人間って、面白いですねぇ~。
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