自分の中には「エゴエゴしいもの」が散乱してる
2016 / 10 / 21 ( Fri )
1つ前の日記の補足…になりますかね。


先月末のことです。
朝から首肩がパンパンで頭痛があり、湿布を貼ってなんとか朝の家事はしたのですが、
どんどん調子が悪くなり、とうとう「しんどくてアカンわ。今日の息子くんのお迎えできへん。」と、おとーちゃんにSOSのメールをしたほどでした。
おとーちゃんが一時帰宅をしてくれて、縁起が良くて健康にもいいと言われる今年の梅干し(申梅)と白湯を用意してくれたおかげか、しんどくて眠ることもできなかったのが、うとうとと小一時間ほど眠ることができました。
(そしてその後、なんとか体調がだんだんと持ち直してきました。)

その時に見た夢です。


家の外に、糸みたいなのに引っかかってる蛇みたいなのがいました。
それはもがきにもがいてて、
それをよく見てみると、なんともグロテスクで怪物みたいな姿をしていました。
叫んでる口の中に蜂が密集しているのが印象的でした。
怖いので、その蛇のようなワニのような生物に、窓を開けて、そこから殺虫剤を噴霧しようかとも思ったのですが、
家にある殺虫剤くらいでは殺せんな、と思い、静観しかできずにおりました。

すると、怪物はもがいてもがいて、やっとこさ針金のような糸から自由になって、ぽとりと地面に落ちたのでした。
地面に落ちた怪物は、小さくて青くて、胸腹が赤いドラゴンの子供の姿になっていました。
ものすごーーーくかわいい姿をしていました。



そこで、娘を呼んで、さっきの怪物はドラゴンだったよー、と、窓越しに見せて、
2人でドラゴンちゃんバイバーイ、と手を振っていたら、
その小さいドラゴンは家の中にぽんっと入ってきて、私の膝の上に頭を乗せてきたのでした。
そのドラゴンをなでなでしてた…ら、目が覚めました。


頭痛を抱えながらも洗濯物を干していた時に、物干し竿の近くに蜘蛛の巣があるのを見つけたのですが、そこにミツバチが1匹かかっていました。
おそらく、それがそのまま夢の中でも流用されたのだろうと思います。

が。

この話を友達にメールする時に、「いと」が「意図」と何度も変換されました。
そういうことなんだろうな、と思いました。

強い意図に絡まって自由を失う。
もがきにもがいて、本来の姿も失う。

そんな状態が多少なりとも自分の中にあるのかもしれないなー、と考えました。
それを分かりやすく言えば「思い込み」なのでしょう。
論語にも「七十而従心所欲、不踰矩。」とありますが、思うままに振る舞っても道を外れないようになるには私の場合はまだ20年以上もかかるわけで、「意図」と言っても「雑味の強い思い込み」でしかないものが多いんだろうなー……と、思ったのです。
つまり、1つ前の日記に書いたように、「(エゴの)欲求を強い意志で精鋭化しレーザービームみたいにすることを『意図すること』と思ってた」んだろうな、ということです。


しかしですね。
それがアカンというわけでもないと思うんです。
「エゴエゴしいもの」があると、それが人生をゴツゴツしたくねくね道にしてしまうので、歩きやすい平らな真っ直ぐな道にしたいと思うと「エゴエゴしいもの」を排除しようということになるとは思いますし、道徳や宗教やスピで言われるようなことも結局はそーゆーことだったりするのかもですけど、
「エゴエゴしいもの」が存在するというのは、それにも意味があると思うんです。
「エゴエゴしいもの」があるから人間、とも言えるし、それが全く無くなってしまったら、他の人たちと全然違う次元で生きることになってしまうと思うんです。
それをアセンションと言うのかもですが、『人付き合いがちゃんとできへん変わり者』では人間社会で生きていくのは難しいですもんね。
……まぁ、全く無くなるということは無いんでしょうけど。
肉体がある限り。

ただ、
「エゴエゴしいもの」が自分の中にあるということを、どこか俯瞰するような目で見ることができるようになれば、ゴツゴツくねくねな道もかなり歩きやすくなるように思います。
自分の中にあるたくさんの「思い込み」を1つずつ見つけていくこと、とも言えるかもしれません。
散らかった部屋みたんなもんですね。

そうやって1つ1つ見つけて整理していく(←捨てるんじゃなくて整理整頓する)と、自分の中に備わっている「クリアな意図」というか、蓮村先生の言う「純粋な思い」というか、そういうものの在り処がだんだんと分かりやすくなってくるんじゃないかなー、と思うんです。
それが「七十而従心所欲、不踰矩。」であり、そうなるには人生全部を使うくらいじゃないとできないことなんでしょう。

「ああ、もういいや。」は、その折り返し地点くらいなのかもしれないですね。

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