ヒーリングセションを受けたら放置口座が気になり始めたので…
2017 / 02 / 22 ( Wed )
このヒーリングセションを受けてから、変化…と言っていいですかね。
分かりやすい変化が2つほどありました。

ひとつは、腰回りのお肉が落ちたことです。
私は痩せてる方なんですが、それでも中年になってから脇腹に肉が付いてきました。そして落ちない落ちない。
それが、ヒーリングセションを受けてから特に何もしていないのにスッキリしてきたのです。
心や精神と体は無関係ではありませんから、「心や精神の方で要らないものが落ちた」のかもしれません。

そして、もうひとつが、ずーーーっと放置してあり、すっかり忘れていた銀行口座のことが突然気になり出したのでした。
「これはお金を大事にしてないことになっとる。これはいけない。」と、なんともソワソワした気持になってしまったのでした。

放置口座は3つありました。
すべて会社員時代に必要があって作った口座でしたが、なんがかんだで最終的には数百円預けたまま10年以上も放置してしまいました。
2つはメガバンク、1つは地方銀行の口座だったのですが、2つのメガバンクはそれぞれ統合していて銀行名も違いますし、
そのうちの1つのメガバンクと地方銀行の口座なんて旧姓のままでした。

なので、気になり出したものの、どれも解約が手間取りそうで面倒だなー……と、思ってなかなか銀行に問い合わせをする気力が出ずに、ズルズル先のばしにしていました。
ズルズルしっぱなしではさすがにマズいと思い、「面倒でも3月中には片づけるぞー。」と少し前に目標を設定したところでした。


しかし、です。
日曜日の夜からちょっとお腹の塩梅がイマイチになり、結果的に「ナチュラル・プチ断食」の状態になりまして、
それを超えて…昨日のお昼前に突然…本当に突然だったのですが、「口座を解約しないと!」と気力がいきなりモリモリ湧いてきまして、すぐにそれぞれの銀行の最寄りの支店に電話して問い合わせたのでした。

さすがメガバンクです。
どちらも問い合わせに対しての回答がとても速かったです。
その上、旧姓のままの口座でも、通帳とカードと届け印があるなら、すぐに解約に応じてくれるとのことでした。

地方銀行の方は、問い合わせに対しての回答にもちょっと時間がかかっていましたし、旧姓のままなので戸籍抄本が必要だと言われました。(その電話の後すぐに役所に行きまして、抄本も取ってきました!)
解約手続きもその場で完了ではなく、残高は数日後に指定した別口座に振込ということでした。


そして、今日の午前中に3つの銀行に行ってきました。
メガバンクは手続きも速かったです。
最初に行ったメガバンクの方なんて、「長いことお取引していただいてありがとうございました。」と案内係の方にも担当の方にも、さらになんだか恰幅のいいオジサマにも丁寧に言ってもらっちゃいまして、
『いやいや、ずっと放置してただけだから~~。』と内心申し訳ない気持になるくらいでした。
でも、あんなに丁寧に対応してもらえると、この銀行のネットバンク用口座を作っちゃおうかな~、と思うくらいでした。

もうひとつのメガバンクの方は、そういう丁寧さよりも迅速な処理!という感じでした。
これはこれでありがたかったです。

地方銀行は一番手間がかかりましたが、対応や雰囲気に「あ~、昔ながらの銀行って感じや~。」と思いました。
洗練はされてないんですけど、それはそれでいいのかも、と思いました。



というわけで。
スッキリしました!

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「不和」は唆す。
2017 / 02 / 19 ( Sun )
人の子よ。我にカリカリを捧げよ。



黒丸さん、すっかりブ子兄さんよりデカくなっています。
チンコは無いけど元気です。






さて。
今朝のことです。
だら~っとツイッターのTLを眺めていましたら、こんなツイートがありました。
























「ふはーー。」となりました。
この後、自分でもツイートしたので内容は半分くらい重複しますが、このブログにちゃんと書いておこうと思います。

この一連のツイートに対して「ふはーーーー。」となったのは、とどのつまり『自分を真に信頼する』という私の人生の命題から派生してる課題の1つだからなんです。
『自分を真に信頼する』ことと『傲慢になる』ことは別のことであるというのは頭では分かってるんですが、どうしても傲慢さ回避で自己評価を下げる癖が抜けませんし、本気で抜こうとも思っていないのかもしれません。
手を緩めると私はすぐに傲慢になる、という思い(込み)があるからです。

しかし、傲慢になることもなく真に自己を信頼するためには、『大元の神と呼ばれるような存在』…またはうんと下がって『己のハイヤーセルフ』にすべてを委ねきるしかないというのも頭では分かっています。
分かっているんですけど、それは非常に難しいことでもあって、ついつい(純度の低い)思考が走りまくって、いつものやり方に陥るのです。

すべてを『大元の神』または『真の自己』に委ねきることと、何も考えないこと、は、これまた違うことなのに、おそらく私のアイデンティティが「思考する自分」に置かれてるので、それを手放すのを怖がっているのだろうと思います。
違うと分かってても怖いんでしょうね。
「委ねきる」ことは思考しないことでも努力しないことでもないのに。
やるべきことをちゃんとやる、という、一番効率の良いことなのに。

五井先生が『人事を尽くして天命を待つ』のではなく、『天命を信じて人事を尽くす』のですよ、とおっしゃってますが、
この『天命を信じる』というのが『大元の神様や宇宙とかハイヤーセルフ…などと呼ばれる真の自分に委ねきる』ということで、ある意味では『降参する』なんですよね。
もう、この表層意識の自分のエゴエゴしい意識の欲求をエゴエゴしい表層意識の努力だけで叶えようと躍起になるのは無理無理ぃぃ~、と、潔く降参し、何があっても真の自己を信じきる、委ねきる。
それができて始めて、やるべきことをしっかりやる(人事を尽くす)ことができる……ということです。


頭では分かるんですけどねぇぇぇぇぇぇぇ。


と、まぁ、委ねきることの難しさを15年近く感じ続けてはいたのですが、現象界のレベルといいますか、表層意識のエゴエゴしい自分というレイヤーと言いますか……そこでの知的欲求の充足を自分自身のアイデンティティとしている部分があって、それを手放すことに対して(しかしそれは決して思考することを放棄するわけではないのは分かっているのに)強い抵抗感が何故あるのか、が分からずにいました。

そしたらですね、先日と昨日と2回に分けて、月子さんから興味深いメールが届きました。
私のネイタルチャートにおける火星についてと「絶対に勝てない相手」という意味のパラスという小惑星についてです。
実は私の火星は「避けられない不幸」という意味の小惑星と「不和」という意味の準惑星とで厄介なアスペクト(角度)を取っています。
この「避けられない不幸」な小惑星の度数が、サビアンシンボルでは「知的好奇心満々で新天地を冒険する」みたいな意味のところにあるんです。
知的好奇心満々で新天地を冒険するって、好ましいことのはず。
でもそれをやると避けられない不幸を呼び込むことになる……というのが、どうしてもピンと来てきませんでした。

しかし、月子さんのこれらのアスペクトと、追加でパラスの解釈を読んで、ちょっと分かったような気がしました。
「避けられない不幸」をさせようさせようと「不和」が唆し続けていたのです。

知的好奇心は絶対的に良いものだ、という価値観が自分の根底に在り、それによる恩恵をたくさん受けてきたのも確かなのだけれども、
その思い込みが私を容易に傲慢にさせることを、私自身は無意識に分かっていた………ので、(せっかく自己肯定感は根付いているのにも関わらず)自己評価を常に低くしよう低くしようと躍起になっていたわけです。

……ありがたいことに、「避けられない不幸」な小惑星のすぐ隣の度数に「パート・オブ・フォーチューン」があります。
この感受点の解釈も簡単ではなさそうなのですが、少なくとも私にとっては「最後の魔女」みたいなものなのではないかな、という気がします。
眠れる森の美女で、悪い魔女が呪いをかけた後に、最後に残った魔女がその恐ろしい呪いを緩和する祝福をする、というアレです。
なので、Curiosity killed the catの猫にならなくて済んでいるんだと思ったりします。

でも、それも今までの話であって、これからは違うんでしょうね。
気づいてしまったのですから。
「不和」の唆しを振り切って、真の自己を信頼しきって六芒星の示すところをやるしかない……のでしょうね。



嗚呼さりとて、「不和」の唆しに抗うことの難しさよ~~~~~!
15 : 40 : 26 | | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
願いと祈りの違いを娘に話した、というお話。
2017 / 02 / 15 ( Wed )


今日まで学校に行けない息子は、妖怪ウォッチのメダルを出し入れしたり、タブレットで「ぐるぐるマップ」(←グーグルマップのこと)を見たり、友達の名前をたくさん書いたりして遊んでおります。


しかし、おとーちゃんはお布団の中です。
実は、日曜日の午後からダルいと言い出し、月曜日に発熱しまして……。
インフルエンザA型でした。
多分、息子を休日夜間診療所に連れてってくれた時に罹ったんだと思います。
待合室に50人くらいいて、そのうち20人くらいがインフルエンザっぽいなー…と思ったそうですから、ちょっと喉が弱っていたおとーちゃんが罹ってもおかしくなかったと思います…。

おとーちゃんも熱は火曜日の朝から引いてるんですが、まだちょっとダルいみたいです。
お仕事をいろいろ抱えてて大変そうなので、与えられた休息と捉えてゆっくり休んでくれたらいいかな、と思います。






というわけで。
NOインフルエンザな私と娘が昨日は一緒にお風呂に入ったのですが、
娘が突然質問してきました。

「世界が平和であるように、と思ってることって、口先だけのことなの?」

学校で何かあったのかなー?と思いつつ、その疑問は横に置いておいて、湯船につかりながら娘の質問に答えていきました。



「もちろん、娘ちゃんが世界が平和であるようにと思って、何か行動したとしても、世界は平和にならんよね?」

「うん。」

「娘ちゃんがトランプさんみたいにアメリカ大統領になったとしても、それは簡単なことやないのは分かる?」

「うん。」

「ってことは、誰が平和を願って行動したとしても、世界はそうそう変わるもんやないのは分かるやんね?
でも、『自分1人が選挙で投票したって日本は変わらない。』と思ってたくさんの人が投票せーへんかったら、変わるもんも変わらんやろ?」

「うん。」

「だから、どうせ無駄だからって何も期待せんくて何もしないというのは違うってのも分かるやろ?」

「分かる。」

「そういう意味では、小学生の娘ちゃんであっても、世界を変える直接的な力が無いから無駄やと世界の平和を望まないというのは良いことやないってのは分かるよね?」

「うん。」

「でね。それとはまた別の意味でね、『祈り』と『願い』は違うんよ。」

「違うの?」

「違うんよ~。これが。願いは…娘ちゃんは立春にお稲荷さんの奥の院に行ったやろ?あそこでおじさんに『ダキニ天さんにお願いしてくださいね。』って言われたやろ?それで『ソロバンとトランペットが上手になりますように。』とお願いしたやろ?それはお願いなんよ。だから時間が経つとお願い事はどんどん変わっていくんよ。娘ちゃんが中3やったらきっと『第一志望の高校に合格しますように。』ってお願いするやろうし。」

「ああ、そうやね~~~。」

「でもね、お祈りは違うんよ。何歳になろうがどんなことが起ころうが、同じことを祈り続けるやろ?自分がお金持ちになったら世界が平和にならんでもいいや~、ってならんやろ?」

「ならんならん。」

「それにね、お祈りはね、あれは自分でしてるようで、自分でしてるんやないんよ。」

「どゆこと?」

「人間はみんな大元の神様から光っちゅーか、命をね、わけわけしてもらって生まれてきてるからね、みんな大元の神様とほそーーーい糸で繋がってるんよ。お釈迦様とかイエス様とかは、その大元の神様とずどーんと繋がったから糸がちょーーー太くて、体そのまんまの太さやけど、娘ちゃんやおかーさんはほっそーーーい糸くらいなんよ。あ、○○先生(←豊橋の霊能師さん)やと親指くらいの太さかもしれんね~。とにかく、普通の人はほっそーーーい糸で繋がってるんよ。でもね、大元の神様と自分の間に黒い厚い雲がどんよりかかってるとね、糸が繋がってることすら分からんくなってしまうんよ。」

「あー…。クラスメイトにそういう感じの子おる…。神様なんておらんって言う。」

「そうなると、大元の神様からの光がちゃんと届かんのよ。でも娘ちゃんはほっそーい糸やけど、ちゃんと届いてるから、世界が平和になりますように、って本気で思えるんよ。世界が平和になるようにって本気で思ってるのは、実は娘ちゃん自身やなくて神様からの光がそう思わせてんのよ。それが祈りなんよ。」

「あーーー!そうなんやーーー!分かった!すごい分かった!」





と、
娘は納得してくれました。
どうやら、学校で読んだ本の中に「そんなの口先だけだ。」という話があったようで、それで自分もそうなのかな?と疑問に思ったとのことでした。



ちなみに。
私は(入信はしてませんけど)五井先生の世界平和の祈りをずーーーーっと続けておるのですが、
五井先生も、それを教えてくれた豊橋の先生も、それこそ最初は口先だけでいいから続けてね~、と言ってまして、
それは娘に説明したことの「逆」のことが起こるからなんです。
口先だけで祈り言を言い続けると、それが少しずつ少しずつ大元の神様からの光を通してくれるようになって、いつしか口先だけの祈り言から「祈り」になっていくんです。
それはどんな宗教の祈り言でもそうなんですよね。
たまたま私は五井先生とご縁があったというだけで。
ですから、信仰というのは、「どんな状況であってもその祈り言をずーーーーっと言い続けることができるしぶとさ」とも言えるような気がします。


…とは言っても、これはやっぱり古いやり方なんでしょうね。
スピ的にはいろんなメソッドがあるようですし。
昔なら死ぬほどの修行でもせん限り知り得なかったことを本やネットで知ることもできますしね。(←あくまで「情報」という意味で、ですけどね。)

でも私は古いやり方が好きなんですよねぇぇぇぇぇ♪
14 : 48 : 14 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
リレンザを上手に吸い込めるか問題
2017 / 02 / 12 ( Sun )


金曜日に支援学校から帰宅した息子がちょっと熱を出しまして、
その上、「今日は(隣の席の)○○くんがインフルエンザでお休み。」と言ったので、ヤバいな~~~~~……と思っていたら案の定でした。


土曜日は祝日だったので、市内の休日夜間診療所におとーちゃんが息子を連れてってくれたんですけど、
「薬はどうする?」とメールが来ましてね。

……小3の時にインフルエンザに罹った時にリレンザを処方されて、初回は吸い込めなくて吹き散らかしたんだよなぁ。
これって知的障害児あるあるらしくって、去年末に支援学校のクラスのママさんたちと『リレンザ吹き散らかし問題』を話してたんだよなぁ……。
でも、もう中学生だし、なんとかなるんじゃないかなぁぁぁ…。

と、思いまして、リレンザでいいよと返しました。
(その診療所では10歳以上はリレンザを処方されるらしいです。)






40℃近い熱でホコホコふらふらの息子に、リレンザを吸い込ませなければなりません。
深呼吸の仕方を見せて、一緒に息を吸ったり吐いたりしてから、いざ!






……1つ目を吹き散らかしました。





あああああ~……。
やっぱりダメだったか~~~~……。







しかし、2つ目は半分は吸えたみたいで、
さらに、「ラーメン食べるみたいにするんだよ!」で、しゅっと吸い込むことができました。


母は「ラーメン食べるみたいにするんだよ」という呪文を獲得しました!



夜はほぼほぼ吸い込めました。
やったね息子よ。





というわけで。
ラーメンを食べるみたいに吸い込んだリレンザのおかげで、今朝は平熱……いや平熱以下に下がっていました。
しかし、水曜日まで学校に行けないので、学校大好き息子は「治ったのにー。」と納得できずにおります。
熱が下がったら治ったと思うよねぇぇぇ…。
でもまだまだウィルス撒き散らしてるんから、おとなしくしててねぇぇぇぇ。

21 : 09 : 40 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
自分のケツを拭く覚悟
2017 / 02 / 06 ( Mon )
友人に、猫キャリーを借りっぱなしだったので、
それを返却する時に、お礼にコレを付けておきました。





トイレに飾ってもらうための絵です。
50年間ちびちびと開運のエネルギーが出るように…と設定しときました。一応。




*+*+*+*+*+*

さて。
2つ前の記事を引っ込めておるわけですが、
お客様に不快な想いをさせてしまい、本当に申し訳なかったと思っております。
(もちろん、メールでお客様には謝罪させてもらいました。)

今までずーっとお客様への絵とメッセージについては当ブログで紹介していましたが、「紹介する場合があります」とどこにも明記していなかったんです。(←なのでサイトに明記しました。)
暗黙の了解で理解してくださってる…と思い込んでいたんです。
単純に盲点だった、とも言えますし、「なにみえ」の遠足仲間に絵をプレゼントしてたところから、求められるに従って「お店」という形になって行ったという過程から、まだどこか「コミュニティの内側」という感覚が残っていたと言えるのかもしれません。

……ん~。
「コミュニティの内側」に近いような意識は、どこかにあったように思います。
ブログにちょいちょい遊びに来てくれて、私のことを多少なりとも知ってくれて、それで絵を買おうと思ってくださってる…と思ってましたから。
それは、「絵」の前に、「私」に対しての親近感や理解等を持ってくれたからに違いない、という無意識の思い込みがあったからだと思います。
「私への親近感や理解等」は関係なく、「絵」と(サイトでオマケですと言ってますけど)「メッセージ」に価値を見いだしてくださってるお客様もいらっしゃるのだ、ということを『ちゃんと』認めないといけない、と教えられました。
ちゃんと、恥ずかしがらずにちゃんと。(←ここが本当に難しい。自己信頼が人生のテーマなだけありますわ…。)


というわけで。
私にとっては大きな勉強となりましたが、お客様にとっては不快な気持になっただけのことなので、「あ~、申し訳なかったなぁぁぁ…。」と思っております。
失敗は取り返しがつきませんけど、せめて忘れずにいて、糧にしていこうと思ってます。
15 : 12 : 56 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
1つ前の記事を一旦非公開にしました。
2017 / 02 / 01 ( Wed )
1つ前の記事(『計算ドリルの答えを見るだけじゃダメだと思う。』)を一旦非公開にしました。

こちらの思い込みと説明不足のため、お客様の意に沿わないものとなってしまったためです。

お客様に不快な思いを抱かせてしまって、申し訳なく思っております。

22 : 00 : 17 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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