ブレスが届きました♪
2014 / 07 / 31 ( Thu )
娘を小学校のサマースクールに送っていって、帰ってきて洗濯を干してから…なので、10時半頃からですかねぇ。
すげぇぇぇ頭が痛くなってきたんです。
やることだけやって、息子には録画してあるドラえもんを見せておいて、横になってたんですがね、
後頭部ってゆーか、首の後ろあたりから始まった痛みが、横になったら眉間にびりびりと電気が走るみたいな痛みとして現れまして、
さすがに何かふつーじゃないよね……って思いました。
エネルギーが上手に抜けなくて痛くなってるような……そのエネルギーでもって眉間もガリガリやられてるような、そんな感覚になっていたんです。


そうこうしてるうちに11時半近くになり、頭痛はまだまだキツかったのですが、息子も連れて学校に学校に行き、娘を拾って、頑張ってスーパーに行って、ヘロヘロになって帰ってきた……ら、
おうちの郵便受けを確認してくれた娘が
「これ、おかーさんに届いたんじゃないのー?」と、封筒を持ってきてくれました。

天使の栞プレゼントで当選された楓さんから、プレゼントが届いていたのでした。

楓さんは、ブレスなどを作ってる方で、じぇいど♪さんのところでも紹介されてたのでご存知の方もいらっしゃると思います。
こんなブレスを作ってプレゼントしてくださいました。

プレゼントブレス

プレゼントブレス

お手紙によると、ブルートパーズ、アクアマリン、カイヤナイト、モルガナイト、水晶のブレスだそうです。

たみえかーさん、ひっくり返りそうになりました。

てのも。
昨日の夜、お風呂上がりに、ぼやーっと考えてごとしてまして、
「タミエルは一時期、ラファエルんとこに修行に行ってる間は、新茶色ってゆーか、ペリドットみたいな色になってたよなー。
でも、今は元の色に戻ってるってゆーか、元の色を強く感じるよなー。
アクアマリンのようなブルートパーズのような、そんな感じだよな~。」

って、思ってたところだったんです。

思った途端にブツが届くなんて、そりゃひっくり返りそうになりますよっ。



じゃあ、カイヤナイトとモルガナイトって何かって言いますと……


なんとなく、こちらも私の一面を表現してるような気がしました。
見た目でなんとなくですが、そう思いました。
その「一面」というのは、本質的なものというか、高次の自分というか、そういう意味であって、
目指すべきところ、というか、還るべきところ、というか、その目印というか、そんな感じかなー、と思いました。
でも、今の肉体の私とは全く乖離してるものじゃなくて、繋がっているというか、やっぱり私自身でもあるんだろうな、と思ったりました。

なんとなくねー。



なので、このブレスは、タミエルとファウとも言えそうだし、私の男性性と女性性とも言えそうだし、上と下とも言えそうだし、外側と内側とも言えそうだし、ちょっと不思議なブレスだなー、と思いました。

なんとなくねーー。




と、そんなブレスが届く少し前に、頭痛になっちゃったというのは、それだけ私にとっては必要なブレスなのかもしれませんね。
これを書いてる今も、まだ少し頭痛は残ってますが、多分なんとか夕飯は作れると思います。
で、VS嵐も観ないと!




楓さん、どうもありがとうございました♪♪

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貴方の友達はどんな人?貴方の好きな人はどんな人?
2014 / 07 / 29 ( Tue )
この記事
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-920.html
を書いた後もいろいろありまして、
娘にとって一番の懸念事項についてはなんとか先生に自分の言葉で相談することができて、クリアになったんですが、
それでも、娘にしたら悶々とすることが多いようです。

昨日も、またふいに娘が言い出しました。
「なんで、人の悪口を言う子が多いのかなー?」
って。

そこから、いろんな話になりまして、最終的には人種や国籍、同性愛者であることとか、そういうことで人を差別してはいけないという話にもなりました。
もちろん、娘に分かるように話すので、説明するのが大変だったんですけどね、なんだかそんなことまで話しちゃいまして、
娘も真剣に聞いてくれてたので、良かったかなー、と思いました。



娘に言ったんですよ。
人の悪口を言ったりいじわるなことをわざとしたりする子って、大人からすると分かるんだよ、って。
「分かるの???」って娘が驚くので、懇談会の時に先生に言われた言葉を娘に教えてあげました。
ピカピカの小学生!って姿を見せてもらえました、って先生は娘のことを言ってくれたんです。
その言葉を教えてあげました。

「陰で悪口を言ったり、こっそりいじわるをしたりしてきた大人は、目が曇ってるからそーゆーのは分からないんだけどね、○○先生はそんなことないからね、分かるんだよ。そういう大人はね、悪口を言ったりいじわるをする子とそうでない子ってのは、少し見てるだけで分かるんだよ。
お前は悪口も言わないで、人にいじわるもしないで、ニコニコしていたから、先生からしたらピカピカに見えたんだよ。」

と、言ってやったところ、すごく嬉しそうな顔になり、
「私、ずっと悪口も言わないで、いじわるもしない!」と、言いました。



でもね。
学校にいると、そーゆー子たちとも付き合っていかなければならないわけです。
掃除の時間や給食の時間や、グループ活動……と、いろいろあります。
実際、そういう決められたメンバーにいじわるなことをされて娘は悩んでいたので、それは娘もよく分かっています。

「ここの小学校はクラスが1つしかないから、クラス替えってのが無いやんね?だから卒業までずーっと同じ子たちと一緒にいるんだから、どうしたって女同士の難しいことも出てくるんよ。
いじわるしなくて悪口も言わない子たちとばかりと一緒にはいられへんでしょ?当番とかあるもんね。
そういう時に、今よりもっとめんどくさかったり、今よりもっとしんどかったりすると思うよ。
そんな時にね、イヤならイヤだって言わないとアカンし、上手に距離を取らないとアカンのよ。
我慢して一緒にいて、自分は悪口言わないから大丈夫って思ってても、一緒にいるとだんだんとイヤなものが自分の中に混ざってきちゃうから。

とも教えておきました。
娘は目を丸くして驚いていましたけどね。
けど、「みんなと仲良くしなければならない」というのは保育園・幼稚園までのことで、
小学生になったらだんだんと付き合う人を選ぶ目を養わなければならないし、ネガティブな人とは上手に距離を取って影響されないようにすることも覚えなければならないと思うのです。
また、うちの娘は何故か人を見る目が(歳の割に親がビックリするほど)長けているので、7歳児であってもこういうことを言っておかないといけないよなー、と思っていたんです。



最近、ほんとーーーによく思うんです。
類は友を呼ぶ…し、朱に交われば赤くなる…って。

私だって貴方だって誰だって、凸凹があって、資質を上手く活かしてる部分もあれば、ダメダメな方向に育てちゃってる部分もありますよね。
気が合う、というのは、そのトータルとしての人としての在り方みたいなものが似てる、ということなのかもなー、と思うんです。
だから、類は友を呼ぶんですよね。

でも、類は友を呼ぶだけじゃなくて、人間は相互に影響し合いますもんね。
そこで、好ましい方向に影響し合えばいいんですが、好ましくない方向にも影響し合うことも多々あるわけで、
それはなかなか本人は気づきにくかったりするよなー、と思うのです。

そして、(好き嫌いじゃなくて)やっぱりどうしても苦手な人は苦手で、
それは、その人がというより、その『類』が苦手なんだよなー、ってすご~く思います。





娘は、一緒にいて楽しい友達というのは「悪口を言わなくて、いじわるもしない子」だと言います。
それが彼女の在り方を示しているんだろうな、と思います。

自分の友達って、自分の好きな人って、どういう『類』の人が多いんだろう?って考えてみると、自分ってものの在り方がよく分かるかもしれませんね。



私は……どうなんでしょうね?
んー……。
けっこー、はちゃめちゃなものを内部に抱えてる人が多いかも。
はちゃめちゃなものを内部に抱えてるんだけど、常にフォーカスしてるところは案外マトモだったりして、
「大事なところは決してハズさない」みたいな、そんな感じの人が多いかも。

……はい。
あたくし、内部にけっこーはちゃめちゃなものを抱えております。
いえーい♪




貴方はどうですか?








おれはトカゲが好きだぞ。
動かなくなるまで遊んでやるぞ。

『…それ、友達と違うし。』
18 : 12 : 33 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
お庭が「居場所」だった女性
2014 / 07 / 25 ( Fri )
居場所は大切って記事を昨日書いたわけですが。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-939.html


居場所と言えば、ある過去世の女性のことが思い浮かびます。
これもいい機会なので、ブログに書いておこうと思います。




あ。
あくまで私の中の物語だと思って読んでいただければ、と思います。







数年前に思い出したその女性は、15世紀くらいのイタリア人で、ルチアという名前だったように思えるので、そのように呼んでます。
おそらくミラノから少し離れたところの、田舎貴族の娘なんだと思います。
数年前に、たまたま別件で調べ物をしていて、「スフォルツァ家」という文字を見て、「あ……!」と思ったのですが、どうもスフォルツァ家と多少の縁があったような気がします。
でも、どうしても田舎の(たいしたことのない)貴族のような気がするので、日本語で調べても出てこないような、そんなレベルの家だと思います。

お父様には妾さんも何人かいたようで、兄弟姉妹は多かったような気がします。
特に姉なのか妹なのかは分かりませんが、ルクレツィアという名前の姉妹が美しくて頭も良かったので、お父様はとてもかわいがっていました。
もしかしたら双子だったのかもしれませんが、とにかくすごく年の近い姉妹だったような気がします。

しかし、ルクレツィアとは正反対で、ルチアは美人でもなければ、頭も少し弱かったのです。
今で言うところの軽度知的障害だったんだろうな、と思います。
気の利いた会話もできないですし、理解できないことも多くありました。
テンポもゆっくりで、端から見たらぼーっとしてることも多かったようです。
ですから、お父様にとってはルクレツィアは良い家に嫁がせることができる「良質の駒」でも、ルチアは「使えない駒」だったようです。

かと言って、厄介者扱いをされていたわけではなかったのですが、自分でも兄弟姉妹に劣ることは分かっていました。
……いえ、もしかしたら、ほんとうはイヤミとかも言われていたのかもしれませんが、それがイヤミだというのも分かっていなかったのかもしれません。

そのせいか、人と会話しなければいけない室内に居るよりも、ルチアは1人で庭にいることが多かったようでした。
庭が彼女の居場所だったのです。


そんな彼女にとって、唯一彼女を心底かわいがってくれていた「年の近い叔父さま」だけが理解者でした。
おじいさまが若い女に産ませた子だったようで……何がどうしてかは分かりませんが、どうも彼も居場所か無かったみたいなのです。
彼にとっては、(頭が弱いせいであれこれ計算することができないために)正直でのんびりしているルチアだけが居場所だったのかもしれません。

でも、そんなこともルチアには分かりませんでした。
ただ、叔父さまだけがいつでもとても優しく接してくれるので大好き、と思っていただけでした。



そんなルチアも、15歳だか16歳だかの時に、嫁ぎ先が決まりました。
嫁ぐ日の前日、庭で叔父さまともお話をしたのですが、最後に見た叔父さまの顔がちっとも喜んでいなくて、ルチアには不思議でした。
こんな自分でも嫁ぎ先が決まって、みんなは喜んでくれているのに、どうして叔父さまだけはあんな悲しそうな顔をしているのだろう?と、不思議で、そして心が少しキュっとしたのでした。

今の私からすると、そんなの心配と寂しさと、そして多分ちょっと強引に後添えとして嫁がせる…みたいな結婚だったので、それに対する怒り…が入り交じった顔してたやん!って分かるんですが、ルチアには分からなかったんです。
そして、実はこの時の叔父さまの表情と同じ表情を、とある人がしていて、それを見てぱーーーっとルチアのことを思い出したのです。
数年前に。



嫁いでから、ルチアは一度妊娠したものの流産したようで、それから妊娠することはありませんでした。
けれどもそれが嫁ぎ先での彼女の立場としては逆に良かったようで、30歳過ぎで亡くなるまで淡々とおだやかに時間が過ぎていったようです。
相変わらず庭が彼女の居場所だったようですが。


しかし、叔父さまが戦いの場で亡くなったという報せをもらった時だけ、激しく泣きました。
おそらく彼女の人生の中でたった一度だけの経験だったと思います。
今の私の意識感覚からすると、ルチアの意識というのはいつも紗がかかったような感じで、なにもかもが若干スローに感じるのですが、
この時だけ意識が透明なクリスタルのようにクリアになり、叔父さまがいかに自分を深く愛してくれていたか、叔父さまのことをいかに自分も深く愛していたかを自覚したのでした。


ミカエルが言うには、ルチアの人生というのは一休みの人生なんだそうです。
たしかに、田舎貴族といえども一応は貴族なので、食べるものには困らなかったようですし、
頭が少し弱くて、いつも意識にふんわり紗がかかったような女性だったので、(イヤなことももちろんあったんですが)そんなに深く考えることもなく、ニコニコしながら生きることができたようなのです。
そして、深い愛もちゃんとあったのですから、まさに一休みの人生だったんだろうな~、と私も思います。
その前の人生が過酷なものだったので、ここで一休みが必要だったのかもしれません。











ところで。

私はすっかりさっぱりこの記事のことを忘れていたんですよ。
http://plaza.rakuten.co.jp/californiajade/diary/200802070000/
で、
「私の過去世の女性がねー、どうも15世紀のイタリア人だったみたいだなー、とはずーーーっと思ってたんだけどね、どうやらスフォルツァ家って貴族とちょっとだけ縁がある人みたいやわー。」
と、ある時メールについでに書いたらですね、
「それ、ベアトリーチェの嫁ぎ先だよ。」
と返事をもらいまして、え……???ってなったことがあります。

ごめんね。
ルネサンス期イタリアの貴族って、フィレンツェのメディチ家しか知らないんだよーーー。
高校の世界史の先生がねー、
「お前らな、美人は血筋なんだから仕方がないってのは歴史が証明してるんだ。ハプスブルク家は美人ばかり生まれたそうだが、メディチ家はブスばっかり生まれたんだぞ。だからお前らが美人じゃないのも仕方がないことなんだ!」
と、そんな本当か嘘か分からない話を力説してくれて、その印象が強すぎてメディチ家しか覚えてないのよぉぉぉぉ。


ま、でもね、ルチアはほとんど外に出なかったみたいだし、ベアトリーチェみたいな名家の女性と会うことも無かっただろうな、と思ってたんですよ。
ずーーっと。

そしたら先日、何かの拍子にルチアが私に
「ベアトリーチェ・デステなら会ったことあるよ。」
と言ったんです。
あ、脳内会話でね。突然ね。

ほんとにー?
でも貴女、嫁ぎ先のおうちからもほとんど外に出なかったんじゃないの?

と問うと、
「一度、何故か旦那様が私を連れ出してくれたことがあったの。でも私はやっぱりそういう場に馴染めなくて、お庭を見てくるって言って、独りでお庭にいたの。その時に彼女がやってきてね、お話をしたの。これがね、楽しかったのよ!」
と言うので、

ベアトリーチェはどんな人だった?

と再び問うてみたところ、
「別れ際にね、お花をくれたから、いい人だと思うわ。」
と、微笑んで答えてくれました。

お花をくれたからいい人…って、ルチアらしいなぁ~、と笑っちゃいました。




これらのことが、ほんとうに「事実」なのかどうかは分かりませんし、事実かどうかをガンガンにこだわる必要も無いと思うのですが、
とにもかくにも、私の中ではそういう物語になっている、ということだけは、私にとって「真実」なんですね。

で、
その「真実」は、ベアトリーチェの今の人と私との関係性にも反映されてるような気がしたんです。

ドロっドロな人間関係が当たり前だった当時の貴族社会にあって、
お庭でばったり会って、(おそらくベアトリーチェがルチアに合わせて)たわいもない話をして、珍しく『楽しく会話をする時間』を過ごして、最後にお花をくれて「いい人だったな~。」という印象が強く残った……なんてね、
ネット世界でばったり会って、たわいもない話をメールでしょっちゅーやりとりして楽しくて、でも時々とっても大切なことも教えてもらって、「いい人だなー。」と思ってる今の私と同じようなもんだな、と思うわけです。
笑っちゃいますね。

ま、ベアトリーチェの今の人がそれに関してどう思ってるかは知らんけどね!
(多分、面白がってるとは思うが。)






おれは庭でトカゲを狩るけどな。
昨日はカエルも狩ったぜ!
デカいやつ!デカいやつ!

『それを勝手口の前に置いておくのはヤメて。』
17 : 53 : 27 | ルチア | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
「居場所」って、とても大切。
2014 / 07 / 24 ( Thu )
息子の通ってる小学校は1学年1クラスのこじんまりした学校です。
そして、5年生の息子は知的障害があるために「支援クラス」に属しておりますが、体育や音楽などは5年生のみんなと一緒に授業を受けています。
支援クラスとの区別から、そちらの方は「交流クラス」と呼ばれています。

現在、支援クラス在籍の子は息子を含めて3人で、1人が1年生です。
この1年生の子が、息子になついてくれているようで、息子もすごくかわいがっているらしいのです。
Aくんとしておきましょうか。



さて。
今日は学校のプール開放の日で、私はプール監視当番の日でした。
これは決められた学年の保護者が、決められた日に当番に出なければなりません。
ですから、息子も娘も自動的に今日はプールに行かせたわけですが、息子はあまり乗り気ではありませんでした。

実際、最初はプールサイドでぐずぐずしていました。
なぜなら、彼にとっては「夏休みの学校のプール」は、居場所が無い感覚になるからみたいなのです。

体育は交流クラスで行いますが、プールの授業は安全確保と能力差が大きいために支援クラスだけで行っているそうです。
これは彼にとっては居心地のいい、楽しい時間です。
しかし、夏休みのプールは、全学年が一緒になっていて、学年ごとに集められて体操をしたりシャワーを浴びたり、そしてプールで遊んだりするので、息子は困ってしまうのです。
息子は5年生の輪の中には入れないのです。
なぜなら、深いプールだから。
背の低い息子にとって高学年用のプールは深すぎて怖いのです。

なので支援クラスの先生は、去年は妹の学年と一緒に行動させていたそうなのですが、やはりそれも息子にとっては本来の居場所とは思えなかったようなのです。
もちろん、娘も娘の友達もウェルカムなのですが。

ですから、今年も先生は妹と一緒に泳ごうね、と息子に言っていたのですが、監視している私のところに泣きそうな顔をしながら息子がやってきました。

「ぼく…2年生じゃないよ。ぼく、どこに居ればいいの?」

こういう時、めっちゃ切なくなります。
5年生のみんなも息子のことはウェルカムなのですが、いかんせん深いプールに入れないわけですから、息子も5年生のみんなのところには行こうとしないわけです。

それで意固地になってプールサイドに座り込んでしまいました。
娘が自分の友達にも頼んで一緒に来て、みんなで誘いましたが、なかなか動きませんでした。
なんとかプールには入ったのですが、イマイチの表情でした。

すると、そこにAくんが来ました。
Aくんは他の1年生の子たちと一緒にいたようなのですが、息子がプールに入ったのを見つけてそばに来たみたいでした。
Aくんが来てくれた途端に、息子は楽しそうに遊び始めました。
「5年生なんだから、1年生のAくんのことお願いね。お兄さんなんだからね。」と、息子に言うと、
「分かったよ!」と、少しキリっとした顔で答えました。
あの顔なら安心だー、と、私も監視のお仕事に戻りました。

居場所が見つかって良かった、とホッとしました。



いつもの学校で、いつものプールなのに、本来の居場所が無い。
みんなウェルカムなのに、自分で自分本来の居場所だと思えないために、心もとないような、そんな気持ちになってしまって楽しめない……という、そんな息子の姿を見て、
人間にとって「ここが自分の居場所だ」と思えるところがあるというのは、すごく大切なんだなー、とあらためて考えさせられました。

もちろん、どこでも自分の居場所にできちゃうような逞しい人間になれれば良いのですが、なかなかそんなわけにもいきませんからね。






去年は、(兄も一緒にプールに行く時は)兄を1人にはしておけないので兄と一緒にいた娘でしたが、今年は兄がAくんと楽しそうに遊んでいたので、娘は娘で自分の友達と遊べたのがすごく楽しかった、と言っていました。
兄のことは大好きだし、兄の面倒を見なくてはいけない場合もあるというのは自覚していて、自分からそうする娘ですが、
もちろん友達とも遊びたいわけで、そういう意味でもAくんが息子と遊ぶことを楽しいと思ってくれていることが、とてもとてもありがたいなぁぁぁぁ~、と感謝しまくりなのです。


あ。
ちなみに。
妹が1年生になるまでは、息子は夏休みの学校プールには行かなかったんです。
どうしてもイヤだって。
それが、妹が行くというから行ってみようかな~、という気持ちになって、去年は3回ほど行ったんです。

妹のおかげで夏休みの学校プールに行くことができるようになって、
Aくんのおかげで夏休みの学校プールで「友達と遊ぶ」ことができるようになって、
彼にしたらかなりの進歩なんだろうなー、と思います。

障害児の母親にとっては、こんなこともすごく嬉しいものなのです。







おれの居場所はココ。
夏はココが涼しいんだよー。
17 : 33 : 10 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
カレーとか天使とか猫とか。
2014 / 07 / 23 ( Wed )
今日は画像のみであります。



まずは、先週のPTAのイベントでせっせと作ったカレーであります。




それから、天使の絵であります。
こちらは、大天使メタトロンです。
オラクルカードはIndigo & Crystal Children でした。

大天使メタトロン


こちらは、大天使サンダルフォンです。
オラクルカードはVictory!でした。

大天使サンダルフォン


あ。
メタトロンとサンダルフォンって、対(双子)やん。
そんなつもり無かったんですが、アップしてみて「お。」と気づきました。





最後は、おブ子。
かーさんが絵を描こうとしたら、お膝に乗っかってきて寝てしまった時の写真です。



まったくもー。


14 : 46 : 05 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夏休みになりました。
2014 / 07 / 21 ( Mon )
夏休みに突入ですよ!

子供たちが。
そして。
ほんとにこいつらは私の子なのか?と思うコトが発生するんですが、今年ももう起こってます。

早起きして、夏休みの宿題をがんがん進めてます。

息子は宿題が好きなんですよ。
文字をこつこつこつこつこつこつこつこつ書くのが好きみたいでして。
もう国語の分厚いプリントは終わってしまいましたよ…。先生、どうしましょう?
(算数は苦手なので国語がいつも先。)

そんな兄を見てるので、娘も真似してやるもんですから、算数のプリントが終わってしまいましたよ。
(でも、多分何カ所も間違ってると思うのでやり直しがあるだろうけどね。←親が○をつけるところまでが宿題なので見てやらないといけない。←親も宿題やらされる気分なんですけど!)

でも、一番手がかかるのは、読書感想文or生活作文ですね。
これは娘1人ではできないので、手伝わないといけません。
今年も生活作文にする、とゆーてますが、いつかは読書感想文と向き合わなければならない時が来るんですよ。娘も。

私ね。
小6の時にですね、オカンがつきっきりで読書感想文を書かされたイヤな思い出があるんです。
泣きながらやったんです。
おかげで、市だかなんかの本に載ったんですけどね、あんなもん自力でクリアしたものじゃないし、びみょーな気持ちになったのを覚えています。

読書感想文書きを今やっても私も娘を泣かせそうなので、今年はまだふつーの作文でいいよねー、って思っております。生活作文なら何かちょっとしたイベントをテーマにすれば娘から引き出すのも難しくないので、今年もそうします。
(それでも、これが一番手がかかるー。)



さてさて。
12日の夜に娘が高熱を出してから、熱が上がったり下がったりで、息子にもちょっとうつったりして、登校したのに2人とも時間差でお迎え要請がかかったりして、ほんとーに落ち着かない1週間でありました。
私も疲れました。

そんな状態で、19日の土曜日はPTAのイベントでお祭がありまして、我々PTA学級委員は蒸し暑い家庭科室で朝から昼までひたすらカレーを作りました。約500人分だったかな?
で、夕方からはカレーの配膳やら片づけやらで、21時までなんだかんだと働いておりまして、ヘトヘトになりました~。
翌日は頭痛で最低限の家事しかできず、ゴロゴロしてましたし、今朝も(息子はとっくに起きて宿題してたけど)8時過ぎまで寝てまして、なんとか家事をこなした…という塩梅です。

やっぱり私にはダメージ大きかったです……。
かなり辛かったです……。

でも、当日は漢方薬をドーピングしつつもなんとかかんとか与えられた仕事は最後までこなすことができまして、ホッとしました。
多分ね、去年までの私なら、午前中にカレーを作ったところでぶっ倒れてたろうなー、と思うので、他の役員さんに迷惑かけずに済んで良かったです。
MAPをコツコツと続けてるのも効いてるのかなー、と思ったりしてます。

とにもかくにも、よくやった!私っ!←自分を褒めてみる。



んー。
でももう来年は無理っ。
私には体力的にキャパオーバーだぁぁぁ。
PTAの役員はめんどうだからやりたくない、ってんじゃなくて、ほんとに体力的に難しいって分かりました。
このイベントがこの小学校で続く限り。
(執行部の人たちは、このイベントのために1学期の間は毎週会議を遅くまでやってて、当日はフル稼働ですからね。ほんとに大変だと思いますよ。でもずーっと続いてるイベントで子供たちが楽しみにしてるから止めるという選択肢が存在しないみたいです。うはーー。)




というわけで、
まだ疲労が残ってて、頭も回らないので、オチが無い日記でごめんなさいねぇぇぇぇ。
とりあえず、バタバタだったけど、たみえかーさんは生きてるよー、というお知らせの日記でございました。

あー。
だるいけど、子供たち連れてスーパー行かなくちゃー。
今夜の晩御飯は何にしよー?







おれも寝てばかりだがな。
夏は暑いから疲れるんだよー。
15 : 44 : 39 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
怒りとか不安とかを、他人に押しつけないとすると。
2014 / 07 / 16 ( Wed )
【今日のちょっとしたデキゴト】

夕飯をごちそうさました娘。
お薬を飲ませようとしたら、ごはんとお味噌汁が少しずつ残っていたので、
「(大好きな)トウモロコシをおかわりして、ごはんとお味噌汁を残してるってのはあかんよ。そういうのあかんよ。分かっとる?あんたのためにゆーとるんやで?」
と、かーさんが娘にゆーたんです。
でも、『あ、最後のは完全なる蛇足やった。』と言った途端に心の隅でチラリと思ったんです。

すると、ちょっと離れたところでゴロゴロしていた息子が間髪入れずに、
「それ、違うと思うな。」
と、言ったんですよーーーーー。

「…え?あんたのためってゆーのが違うってゆーの?」
「うん。違うと思うな。」と、笑顔で言う息子。

ちょっとちょっとー。
「あなたのためなのよ。」という親の言葉は、ほんとうにそうなのか、というのはありがちなものですけど、
ここでそんなツッコミを何故入れる?息子よ!

なんかねー。
たしかに息子が言ったんだけどね、そのツッコミの言葉やタイミングや笑顔がね、息子なんだけど息子じゃないみたいで………




まるでミカエルのように見えたの!



こわいこわい。
夏のホラーですか?これは。


いや、夏の奇跡ですよね?
そうですよね。
そうだと言って。



+++++++++++++++++++++

さてここから本題です。


じぇいど♪さんがこんな記事を昨日アップしてましたね。
http://nanigamieterujpn.blogspot.jp/2014/07/blog-post_9194.html

政治的な出来事にしても、個人のめっちゃ狭い範囲での出来事にしても、
怒り不安という感情が、関係性を非常に複雑にしてしまうものだ、というのはめちゃめちゃ明らかなことですよね。

今、イスラエルがガザ地区に武力攻撃をしていますね。
それでたくさんの市民が犠牲になってます。
多くの日本人にとっては地理的に遠い上に、歴史的にも宗教的にも自分にとっては身近な問題ではないので、
「もうやめようよぉぉ~。仲良くしようよぉぉぉ~。犠牲者を出すのはもうやめようよぉぉぉぉ~。」
って、単純に思える人が多いのではないかと思うんです。

でも、
「ご近所の国があんなことゆーたよ!こんなことしたんだよ!このままじゃご近所さんたちのやりたい放題だよ!」
って、自分たちのことになると怒りや不安がすぐに沸き上がってしまう人も多いと思うんです。
今現在、ドンパチをしてるかしていないか、という違いは大きいですが、心理状態においては同じようなカタチになっているというのは否めないと思います。


戦争はイヤ。
世界が平和になって欲しい。
誰も傷つけたくないし、誰からも傷つけられたくない。
でも、隣国は信用できないから、大切な人たちを守るために何かあったら戦わなきゃ。


三次元(現象界)の肉体を持った存在の、それも覚醒からはほど遠いところにいる私なので、もちろんその怒りも不安もあります。
そうやって人類は矛盾しっぱなしのまま、今まで散々戦い続けてきているのも、ある意味「人間の性」のようなものかもなー、と思ったりもします。
人類はこのまま自滅してくしかないのかもなー、と暗い暗い気持ちになることもあります。




たまたまこれも昨日なのですが、この記事を読みました。
http://lovegrace.exblog.jp/20669517/
これはサイキックアタックについて主に述べられていますが、目に見えないエネルギー的なことだけではなく、現象として現れていることも同じですよね。

相手が居るようで、実は居ない。それが、三次元マジック。

この法則がお腹に落ちると、全ての考え方が変わる。

けれど勿論、定着までに時間はかかる(何年、ゆっくりコースならば何十年とかかる)。そして、テストは たくさんやってくる。めげずに頑張ろう。笑  テストをしかけているのさえ、自分自身なのだから。。。



ほんとーーーーーーーーーにそうなんだよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
と、唸っちゃいました。

いえね、ほんとに最近ね、めっちゃ矛盾してるんですよ。
出来事そのものはグローバルなものから、1対1の小さなものまで、さまざまなスケールさまざまな深刻度…と幅は広いのですが、基本構造は同じなんですよね。
現象界に生きるふつーの人間の、ふつーの反応としての「怒りや不安」から発生する言動に対する共感と、
ちょっと高い次元から観てるような視点から感じるモノゴトへの理解とが相容れなくて、バリバリ矛盾するんです。


「ちょっと高い次元から…云々」というのが、引用部分の「この法則がお腹に落ちると」なのだと思うんですが、
まだ完璧にはお腹に落ち切っていないんでしょうね。
だから矛盾するんです。どっちも分かるーって。


ちょうど、うさみみさんも今日、こんなツイートをしていました。
https://twitter.com/usamimix/status/489215376916348930
(下のリプライ欄も続きになってるから読んでね。)

自分の現実に登場する他人すら、大局的に見れば、自分という脚本家・小説家が書いた世界の一部なんだね。



「大局的に見れば」っていうのが、「この法則がお腹に落ちれば」とも「少し高い次元で見てるような視点」とも同義なんでしょうね。



だからって、誰か1人が気づいたことですぐに人類の集合意識を変えちゃって平和な世界を出現させることができる……なんて安易なことは考えてませんが、
そういう方向で1人1人が「あ、そうなのか。」とお腹の底から分かることでしか、平和を築くことはできないんじゃないかなー、とも思ってます。

お腹に落ちきってないなー、というのは分かるけど、
それが分かってるからって、お腹にすこんと落ちるかというと、そんな簡単な話ではなく、
逆にすげぇぇぇもにょもにょしてしまうんですけど、
こういうのもプロセスの1つなんだろうなー、と思って、がっつりもにょもにょさせてもらっております。
はい。



で、ですね。
ここからが本題の本題です。
昔、ブログかmixiの日記かは忘れましたけど、書いた覚えはあるのですが、探すのがメンドクサイので、書きます。
(そっちの方がめんどくさくない?というツッコミは無しの方向でよろしくお願いします!)


上記のブログに、

感情は、自分自身の物事への反応を通じて自らを知る材料として、自分の中で味わいつくそう。感情を否定 するのはよくない。抑圧が、別の問題を産む・・シャドウセルフやパラレルを生み出してしまう可能性もあ る。自然な反応である感情は、自分でまずは認める。そして自分の中で味わいつくす。決して相手にはぶつ けない。ぶつけたっていいのだけれど(その人の人生だから)。けれど、怒りや嫌悪感や批判精神などネガ ティブなものであれば、必ずそれは、アタックとして相手を攻撃するし、当然ながら跳ね返って自分に戻っ てくる。。。自分が、あえて傷付いたり、オーラを損傷して運気を下げたり健康を害したりすることを望む 人は居るでしょうか?

・・居ませんよね。だから、感情は、相手にぶつけずに自分が味わうことで消化して、できれば透明な水に なるまで、濾過できればベスト。純化してしまう。そのプロセスは自分自身を知る作業であり、認めたくな いことでも自分で受け入れて呑み込み消化することで、純化が完成する。モヤモヤっと立ちこめていたエネ ルギーがなくなる訳だから、何が起きるかというと、相手がコロっと変わったり、嘘のように現実にあった 問題が消えて行く。



とありますよね。
でも、『感情は自分で味わい尽くして濾過しちゃいましょう』と、言われても、それができないから困るんだよね~という人も多いんじゃないかと思うんです。

でもね。
これね、ほんとにそうなんですよ。
私はこれを五井先生の教えをいろいろ解説してくれる人の記事を読んで知りまして、自分でもやってみたんです。

コツをお教えします。

まず、世界のデキゴトとかそーゆーのじゃなくて、家族に対する「腹立つわー!」が良いと思います。
ここで不安や悲しみではなく、まず怒り、それも身近な、旦那やオカンなど、ちょー身近な人との頭がカッカするようなケンカの直後が良いと思います。
なぜならそーゆー怒りというのは、その増減がすごく分かりやすいからです。

そういう状況になったら、どこか1人になれるところに移動します。

そして、目をつぶって、じーーーーーーっと自分の感情のみを感じます。
この時に、『旦那が悪いのよっ。あんなこと言うからっ!』などと、言葉にして考えてはいけません。
思考(言葉)は横に置いておいて、ただただ沸き上がってくる怒りの感情のみを感じるのです。
感情に対してあれこれ思考を結びつけるので、感情を味わい尽くすことも濾過することもできないんです。

そして、おそらく感情を感情としてのみ感じる、ということは、言葉を獲得して使いこなすようになってからは、ほとんどしなくなっちゃったんじゃないかなー、と思うんです。自分を省みても。
なので、思考せずに(怒りの)感情だけを感じる、ということをしていると、そのうちものすごーーーーく居心地が悪くなったりします。
じっとしてられなくなったり、思考したくなったり、逃げ出したくなったりします。

でもここがガマンのしどころです。
それでも逃げずに思考せずに感情だけを感じていると、とある瞬間がやってきます。
まるでお風呂の栓がぽんと抜けたかのような、そんな瞬間がやってくるのです。

そうなると、しゅるるるるる~と(怒りの)感情が抜けていくのです!

ほんとうにしゅるるるるる~と抜けるんですよぉぉぉぉぉぉー。
その瞬間の感覚はまさにお風呂の栓が抜ける、という言葉でしか私は表現できませんが、なんとなく伝わるといいなぁ~と思いつつ書いております。
表現が貧困でごめんなさいねぇぇぇ。


もちろん、『感情を味わい尽くして濾過する』というのは、もっともっと深い意味なのだと思いますが、
一度この体験をしてみると、感情というものに対しての向き合い方や取り扱い方が変わると思います。


旦那さんや奥さんとケンカして怒りがふつふつと湧いて来ちゃうようなことがあったら、
すっと1人になって、試してみることをオススメします。
(旦那さんと仲良しでケンカなんかしないのー♡って人は……どうしましょ?)







お熱下がったねーちゃんに抱っこしてもらったぜ。
良かったな。ねーちゃん。

18 : 19 : 43 | エネルギー | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
ラファエルでした。
2014 / 07 / 15 ( Tue )
日曜日の夜から平熱になった娘でしたが、下痢が続いてたので、月曜日はお休みさせまして。
でもその下痢も月曜日は1度だけでしたし、平熱だったので、午後からの個別懇談会に行ってきました。

あー。
うちの場合は、長丁場の支援クラスでの懇談があるので、子供たち支援クラスで待機(←宿題をやったりしている)が常なのです。

で。
娘の担任の先生が1学期いっぱいで産休・育休に入っちゃうので、先生との懇談も最初で最後なのですが、
そこで、娘のお願いを聞いてやることにしました。

友達と先生とおしゃべりしてる時に、何かのキッカケがあったらしく、娘が
「おかーさんのお仕事は天使の絵を描くことで、お客さんの守護天使をカードをひいて調べて、それから描くんだよ~。
でね、私の天使はラファエルなの~♡」
てな感じでゆーたらしいのです。
娘にしたら、絵を描く仕事、それも天使の絵を描く仕事なんて「素敵なお仕事♪」と思ってくれてるらしく、若干自慢気に話したのではないか?とたみえかーさんはニラんでいるのですが、
実際に玄関にも何枚か飾ってあるために、遊びに来る娘の友達が何人も「これ何?」と訊いてきたことがあり、娘とそこそこ仲良しの友達は私の仕事が天使の絵を描くことだとは知ってるわけですが、先生はあまりよく知らなかったんじゃないかなー、と思います。
学校に提出する用紙には「自営業」って書いてるだけだしー。


で、先生が、
「先生も、自分の天使が知りたいな~♪」
なんてゆーたそうなんです。

おそらく、娘のために話を合わせてくれたんだと思います。ええ。

でも娘は子供ですから本気にするわけですよ。
「先生も自分の守護天使を知りたいんだって!おかーさん、カードひいて調べてよー。でさー、絵も描いてよー。」
と、何度か私にお願いするようになったのです。

別にいいけどさー、
それってほんとに先生は知りたいのかねー?
でもって絵が欲しいのかねー?
(そんなことないんじゃね?)

と、かーさんはずっと渋っていたのですが、先生も一応「知りたい」と言葉にしてるんだし、カードを引くくらいはいいかー、と思いまして、娘が学校を休んでるのもあるので、気晴らしになるだろうと、目の前で引いてやりました。

すると、出てきたカードが大天使ラファエルでした。

「うそー?!私と同じなのー??嬉しいぃぃぃぃぃー♡」
と、娘は大喜びしていました。
そんなに嬉しいもんかねー?と、かーさんは内心くすくす笑っちゃうくらいでした。


じゃあ、先生の守護天使はラファエルだって、と娘が先生に言えばいいやー、と思ってたのですが、
何故か「描かないと」って、スイッチがポンと入ったのです。
かと言って、アクリル絵の具でがっつり描いてる時間も無いので、ささっとではありますが、パステルで描きました。




まー、子供たちからのお手紙とかと一緒にしまっておいてもらえたら、それでいいやー、って思いつつ、
懇談会の最後に、「娘からこうやって聞いて、娘に頼まれたのでー。」と、言いながら渡してきました。






その当の娘ですが。

昨日丸一日平熱で、翌日からまた学校に行くんだ!と張り切ってましたが、
ゆうべ、夜中の3時頃からまた高熱を出しました……。
今回のは週末のよりかなりしんどそうなので、午前中にお医者さんに連れてきました。

早く治ってくれるといいんですがねぇぇ……。
ラファエル、ほんっとお願いっ!









ねーちゃん寝てばっかりで、おれと遊んでくんないんだよなー。
ちょっとさみしいなー。
12 : 34 : 15 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
近似値でしかないのだけれど。
2014 / 07 / 13 ( Sun )
今回は、オカラクルカードをシャッフルしている時にぴょこんと飛び出したのが、大天使ラギュエルのRelationship Harmonyでした。

ああこのカードなんだな、となんとなく思ったので、そのまま絵を描きました。

大天使ラギュエル

相変わらず、同封したメッセージの内容は忘れがちなのですが、
この絵の場合はうっすら覚えております。

人と人が調和した関係性を創り出すためには、自分自身が深いところで何を望み何を求めているのかを知ることが大切なのでないか。
そして同時に、他人のそれを知ろうとすることが大切なのではないか。


…といったような内容だったと思います。


すると、お客様からメールをいただきまして、
現在のお客様が主題としていらっしゃることが、「正しく観る」ということなのだそうです。

自分の深いところの想い・望みを知るためには、他人のそれを知るためには、たしかに「正しく観る」ということが欠かせないよな、と思いました。

けれども、人間というのは思い込みや考え方の偏りを持っているのが当たり前…といいますか、そういう思い込みや偏りを通してでないと「世界」を認識できないのではないか、とすら思うのです。
無垢な赤ん坊から成長していくというのは、さまざまな「考え方・モノゴトの捉え方の刷り込み」がされていくということでもあり、そのフィルターを通して「世界」を観て、心が反応して、行動するのだと思うのです。

ですから、そのフィルターの下にある「ほんとうの望み」を、自分でもよく分からないまま何かに(時として過剰なほど)反応して行動してることが多いのではないか、と思うのです。

かと言って、フィルターをとっぱらうということは凡夫の我々には難しいと思うので、いろんな人の言動を通して、いろんな人のフィルターを知っていくことで、自分自身のフィルターの幅をうんと拡げていけば良いんじゃないかな、と思うんです。
フィルターの幅が拡がれば拡がるほど「こうあるべき!こうすべき!」という頑なさも減っていき、心の自由度も増していくと思うからです。
そうなっていけば、自分自身のほんとうの望みも、他人のほんとうの望みも感じ取ることができるようにもなり、それらを尊重するための言動をチョイスすることが出来るようになる……んじゃないかなー、なんて思うんです。
それが、「正しく観る」「正しく反応する」「正しく行動する」とニアイコールなんじゃないかなぁ~と考えるわけです。
(だって、そもそも何が正しいかなんて、そんなもの神様じゃないから分からないし~。なので「≒」でしか無いと思うのー。)


……とは言ってもねー、
そんなの簡単じゃないよねぇぇぇぇ。
簡単にできるなら、パレスチナであんなことになってないよねぇぇぇぇぇ(T_T)








なーんてね。
お客様のメールを読んでつらつらと考えていましたらね、こんなことがありました。

実は先日、娘の友達Aちゃんのお母さんから、○日と△日に2時間ほどAちゃんを預かっててくれないか、という電話がありました。
でも、(△日はいいけど)○日は小学校の個別懇談会が娘のと息子の交流クラスのと支援クラスのと…と、3連続であるので無理だわ~、って断ったんですね。

そしたら金曜日の夜に、娘が突然言ったんです。
「Aちゃん、○日は預かってくれるところが見つからなかったから、1人でお留守番なんだって。1人でお留守番は怖いって言ってたんだよね…。おかーさん、懇談会を別の日にしてもらって○日もうちに来れるようにできない?」
って。

そうかー。
1人で2時間ほどお留守番なのかー…。
2年生だとそりゃまだ怖いかもなぁ。
ってか、うちの娘は怖いって言うもんなぁ。

と、たみえかーさんはぐるぐる考えまして、懇談会の時間とAちゃんのお母さんがお迎えに来れる時間と見直してみたところ、ちょっとだけウルトラCを使えば何とかなるなー、と気づきまして、
じゃあAちゃんがかわいそうだから、と、Aちゃんのお母さんに電話をしたのでした。

「あー、もしもしー。○日のことだけどさー、預かり先が見つからんかったんやよねー?うちの子から聞いたけど。でさ、Aちゃんが1人でお留守番するのが怖いってゆーてるってうちの子から聞いたからさー……」
と、私が話してるところで、娘が慌てて言ったんです。

「ちがうよー。Aちゃんは怖いって言ってないよーー。」


あ?
どゆこと?


とりあえず、Aちゃんのお母さんも、やっぱり1人でお留守番させるのは心配なので、うちで預かる方が良いわけで、そうすることになったのですが、
電話を切ってから、私とおとーちゃんで娘に問いただしました。

すると、
○日はお母さんが帰ってくるまでAちゃんは1人でお留守番だ、ということだけをAちゃんから聞いた娘は、
自分だったらそんなこと無理だ~怖いよ~って思い、
きっとAちゃんも怖いに違いない、と考え、
それはかわいそうだから、なんとかできないかなー?と、おかーちゃんに相談しよう、と思い立ち、
「Aちゃんが1人でお留守番するのが怖いって言ってたから、なんとかしてあげて。」という言い方になった、

と、いうことだったみたいでした。

娘の友達を想う優しい気持ちは大切にしなければならないものですが、事実と推測をごちゃまぜにしては「正しく人に伝える」ということができませんよね。
ですからもちろん、そこからおとーちゃんがお風呂の中でじ~っくりと娘に言い聞かせておりましたが、
実はこーゆーことって、大人でもありがちだよなー、と思いました。
事実から推測したことも含めて、さも事実のように伝えてしまうことって。
だから噂というものは尾ひれが付きまくるわけです。

当然ですがね、そこらへんを強く意識してたとしても、全くもって正しく事実を伝えるなんてできないと思うんですよ。
だってどーーーしたって主観が入るんですから。
それでもね、できる限り「事実」と「推測したこと」を区別して伝えるように強く意識しなければいけないと思うんです。
だから、小2であってもそこらへんは我が家では大問題として取り上げるわけです。
(そういう価値観がね、旦那さんと一緒だと子育てに一貫性があるので、ありがたいですわ~♪)



正しく観ること
正しく反応すること
正しく行動すること
正しく伝えること


それらが「近似値」でしかないにしても、どれくらいできているかを、折に触れ時々は自問することって、すごく大事なんじゃないかなー、と思います。






あー。
そうそう。
娘がですね、昨日の夕方らから少し様子が「ん?」って感じになり、夜になって39度超えの熱をすぱーんと出しましてね、
今日もまだ38度台でしてね、いわゆる子供がよくかかる「夏風邪」みたいなんですわ…。
3日~4日ほどお熱が下がらないってやつですね。
(でもちっともグッタリとはしてなくて、39度あってもテレビで歌ってる嵐を見てノリノリになってたから、夜間診療に行かなくても大丈夫だなと判断しましたわ~。)

てなわけで、○日にAちゃんを預かるってのは絶対に無理だって状況になっちゃいました~。
「ごめんねー。」と今朝Aちゃんのお母さんにメールを入れたところ、先週の半ばまでAちゃんの弟くんもお熱があって大変だったそうで、こーゆー夏風邪が密かに流行ってるのかもなー、と思いました。

あ~、息子にうつらないといいんだけどなぁぁぁぁぁぁぁ~。








かーちゃん、遊んで遊んでー♪

『おかーちゃんが洗濯物を畳もうとすると、何故いつもキミは邪魔しに来るのかね?』


※追記※
当記事をアップしてから、この記事
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-1948.html
を読みまして、
概念の混同ってのもあるのか~……ってか、なにかしらありそじゃね?自分も…と、思いましたよ。ええ。
概念が混同してたら、そりゃカオスですわなー。
15 : 16 : 59 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
誰かの、何かのせいにしている自分に気づいている?
2014 / 07 / 08 ( Tue )
めっちゃ久々に……って何年ぶりだろう?
とにかくめっちゃ久々に、ふと思い出してココを覗いてみたんです。

そしたら、「ヨイクラシ」という新作がアップされていました。
http://tcxpress.com/comic_pdf/2014/YOIKURASHI2014.PDF

あ、でもね、初めての人はまずは「セカイノカラクリ」から読んでみてね~。
http://www.tcxpress.com/comic_00.html








何か不都合だと感じる状況があると、誰かの、何かのせいにしたくなるのが人間なんだろうな、と思うんです。
不都合な状況に対して、自分の心が反応して不安定になってキツいので、誰かの何かのせいにして、とりあえずその不安定さから抜け出したくなるんだろうな、と思います。

でも、多分ね、誰かの何かのせいにしていてもね、何も変わらないんじゃないかなー、って思うんです。

私達1人1人がしっかりする

ということでしか、変わらないんじゃないかな、と思うんです。
「ヨイクラシ」で語られているように。



…ってね、「私達は、すぐに誰かの何かのせいにしたがる」ってのはね、おとーちゃんの受け売りなんですけどね、
そう言われてみて、自分もすぐに誰かの何かのせいにしてるな、って気づいたんです。

国のせい
政治のせい
経済界のせい
会社のせい
旦那のせい
嫁のせい
学校のせい
先生のせい
あいつのせい
こいつのせい
世界を裏で操ってる組織のせい
自分以外の誰かの何かのせい


誰かの、何かのせいにした途端に、世界は不完全なものにしかならないんだろうな、と思うので、
少しずつでもそこから抜け出したいなー、とは思っています……が、難しいですねぇぇぇぇ。

けれど、意識だけはずっとしていたいです。








誰かの、何かのせいにする心が当たり前のようにあるから、
「なんで私だけ?」
「なんでうちの子だけ?」
「なんで分かってくれないの?」
「なんでこんなに不公平なの?」
っていう反応をしちゃうんだと思います。

政治とかね、そーゆー大きなことよりもね、日常の些細なことの積み重ねの方がコワイと思うんです。







おれのご機嫌が悪いのは、おかーちゃんのせいだからな。
もっとなでろ。なでまくれ。
気持ちいいところをなでれ。

18 : 34 : 35 | おすすめ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
オカンが持って帰った絵
2014 / 07 / 07 ( Mon )
週末は、オカンが泊まりで来てましてね。
子供たちは久々にばーちゃんに遊んでもらってウハウハでした。
昨日の夕方に、オカンを駅まで送っていったら、娘がその後寂しくてずーっとしくしく泣いておりました。
昔はぎゃーぎゃー泣いてたのに、しくしく泣いてるので、成長したのねー、とおかーちゃんはしみじみしておりました。


そうやっていっぱい遊んでもらったお礼……に、というか、オカンがちょっと気に入ったふうな発言をしてたので、玄関に置いてあったコレを帰り際に「持ってくー?」と手渡したところ、
「いいのー?もらってくー♪」と、喜んでカバンにつっこんでました。



今年の3月は、子供たちが順番に熱を出したりインフルエンザになったりしてたので、ちまちまとコピックや色鉛筆で描くことしかできなかったんですよね~。(←アトリエの部屋があるわけじゃないので、居間に画材を持ってきて描くため、子供がいると絵の具なんてとてもじゃないけど出せないのであります。)
その頃に描いたものだったんですわー。
あ、計ってないけど、紙のサイズは6~7cm角くらいで、額も10cm角くらいだったかな。
ちっちゃい作品なので、今頃実家のどこかにちまっと飾られてると思います。








かーちゃん、おれの絵も描いてくれよー。
美男子に描いてくれないと、爪で壁をガリガリするぞー。

12 : 22 : 46 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
週末は更新がなかなかできないので…
2014 / 07 / 05 ( Sat )
週末は更新がなかなかできないので、
毛繕いをするブ子をどうぞ。








にゃー
にゃー
にゃー
16 : 18 : 43 | | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
悲しいくらい滑稽な生き物…なのだけど。
2014 / 07 / 03 ( Thu )
朝起きても、まだ少し左腕に痛みが残っていて、
そして、身体はだるく重く、
朝の家事をして、朝食を少し食べてから、ゴロゴロしているうちに眠ってしまいました。

眠りから覚めてもまだ起き上がるにはだるくて、横になったまま、
そのうち、私の中の『マリア』との会話が始まりました。


マリアは、いわゆる過去世の人で、おそらくスペインの港町で生きた女性でした。
周囲にどう思われようが、心のまま自由に生きた女性でした。
ファウの中から分離し、再統合した『白雪』の面が色濃く出た人生を生きた女性でした。


たくさんの「もっともらしい理由」でもって包み隠していた本心を、彼女は私の意識の上にさらけ出してきました。
悲しいくらい自分が滑稽な生き物のように感じました。
けれど、触れたくない本心を突きつけてくるマリアと向かい合っていました。


だって、それこそが私だから。
触れたくない見たくない隠していたい本心こそが、ほんとうの私の願いであり、そういう自分になりたいというほんとうの望みなのだから。





すると、
さきほど、サッチモさんの明日の占いが目に入りました。
http://maydayangels.blogspot.jp/2014/07/742014.html

☆山羊座☆
今より幸せになれる場所や世界に行くことができるだろう。きっと誰かがきっかけとなって、その場所へ行くのだろう。でも、君が心から変わりたいと思った結果なんだ



泣きそうになりました。






と。
この日記を書いていて、マリアがこのカードと重なって感じました。



「節制」なんてところから一番遠い生き方をした人なのに、おかしいね……なんて思い、カードをシャッフルして1枚ひいてみたら、ほんとうにこのカードが出ました。




でも…そうね。
マリア。
貴女は、やっぱり「節制」の、このカードの天使かもね。
21 : 43 : 23 | マリア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
わ、私の左腕が……。
2014 / 07 / 02 ( Wed )
今日ね、
夕方にね、
お客様にメールを3通書いてね、
さーて夕飯作るかーって思ったらね、左手が痛いの。

てか、肘から下があちこちなーんか重痛いのね。

最初は昔よくなった腱鞘炎の軽いのかと思ったけど、どうもそうでもなさそうで、
痛いんだけど、激痛とかじゃないから、痛いなりに家事をしてね、
今もこうしてキーボード打ってるんだけどね、なーんか痛いの。




おとーちゃんはね、
「歳のせい。45にもなると、何かしたわけじゃないけど、あちこちが急に痛み出すからねー。」
と言うのね。

それもそうなのよねぇ…。
ほんとにそういうのってちょいちょいあるのよねぇ…。



でもね、さっきお風呂でね、なんかね、思ったの!




左腕、バージョンアップなう!




って。
あ、あたしね、字は右手で書くけど、絵は左手で描くのー。
左手が利き手なので。
だからね、これはね、さらにいい絵が描けるように、ミカエルが左腕をバージョンアップしてるのよ!
そうに違いないわっ!








と。
歳のせいにするのが寂しいので、中二病を発症してみたわ。







くだらねーこと言ってないで、早く寝ろ。かーちゃん。
23 : 51 : 11 | ミカエル | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
娘の守護龍
2014 / 07 / 01 ( Tue )
私には守護龍の時環(ときわ)がいます。

時環

彼は、なにみえ遠足の時に私の元に来てくれて、私が時環と名付けて、そのまま守護をしてくれてる…というわけなんですが、
私自身は、ミの字の親分など「天使」という呼称でもって認識されてる存在たちとのコミュニケーションの方が回線が太くて、ドラゴンといわれる存在たちとの回線は細いんです。

なので、あまり時環とは会話できないのですが、それでも時々は「上」で会ったりもします。
だいたい、私の「上のヒト」の1人であるミルラ・ムねーさんといちゃいちゃしてます。


と、時環の話を娘にたまーにしていたせいか、急に娘が「私も守護龍が欲しい。」と言い出しました。

欲しいってゆーてもなー。
天使のことならともかく、ドラゴンじゃあなぁ~。
おかーちゃんがどうにかしてやれるような案件やないしなー。

と、一瞬困ったのですが、ふと思いつきまして。
「時環にお願いしてみ?おかーちゃんの時環に『私の守護龍になってくれるドラゴンを連れてきてください。』ってお願いしてみ?」
と、娘に言いました。
すると、娘がくるりと背を向け、一生懸命何かブツブツと小声で時環に語りかけ続けました。
爆走妄想族の娘ですからね。なんて言うかなー?とジッと見守っておりました。


またしてもくるりと踊るかのように回転して、こちらを向いた娘は、
「おかーさん!時環がね、赤ちゃんドラゴンを連れてきてくれるって!女の子だって!」
と言い始めました。
妄想族の血が騒ぎまくっています。

「そうかねそうかね。
そりゃ良かったねー。
じゃあ、名前つけてあげないとねー。」
と、私。
かるーく受け答えしました。
けっこー長い時間かかって考え込んでた娘は、閃いたかのように言いました。
「黄色い子だから、キリュウってどうかな?」

「キリュウね。
音は悪くないんじゃない?
でも、黄龍または黄竜…って感じじゃないなー……
あ。
綺麗の綺で綺竜ってどお?」
と、娘に言うと、それがいい!と即決していました。




というわけで。
妄想族の娘の、単なる妄想ではありますが、娘が描いた綺龍です。
ぴかぴかに黄色くて、ちょっとオレンジっぽいところもあって、羽は真っ赤で、目は緑色なんだそうです。

18 : 40 : 53 | ドラゴン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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