限界なんて、きっとそんなモノ、無い。
2014 / 02 / 21 ( Fri )
確定申告の作業はちまちまとやっております…。


さて。
昨日かな。
『ママ、EUの大統領に会ってくるわ! 』
http://ameblo.jp/kids-sports-creation/entry-11773862525.html
というブログ記事についてのツイートが回ってきまして、読んでみました。

ママさん、素晴らしいです。
ほんとに。



でも、この記事を読んで、私がツイートしたのは以下のようなものでした。


RT
素晴らしいです。
ママ。


なんかね、
♪限界なんて、きっとそんなもの無い
って、すばるの歌声が響いてくるよ。

限界を作ってるのは自分自身だもんね。


でも、
私は、限界だと思い込んでる枠の中で、ジタバタしてた自分も嫌いじゃないんだな。

実際、体調の問題が大きくて、今までの私の人生の半分は、かなり狭っくるしい限界を設けざるを得なかったから。

そういう自分を嫌ったら可哀想な気がするのだ。


とてもしんどかった時期を抜けて、
妊娠出産育児もできたけど、
2人目出産後からたま体調が良くないことがものすごく増えて、
その状態で、障害児と疳の強い泣き虫な子を、まるで双子のように育ててきたんだから、
もうそれだけでもよくやったと、自分で思うことにしてるのだ。


狭い限界の中で、日常をつつがなく回すだけでも、それはすごいことなのだと、思うのだ。


だからこそ、
すばるのあの歌声は、ものすごく重層的な意味合いを持って、私の中に響いてくるのだ。

ライブで聴いたあの歌声が、いつまでも私の中で響いているのだ。



あの記事のママさんのような方を、素晴らしいと思うし、羨ましいとも正直なところ思います。
けれど、あの記事を読んだからこそ、限界の中で頑張ってきた自分も素直に「よく頑張ってきたやん。」と言えました。





限界なんて、きっとそんなモノ、無い。




限界の中で頑張り抜いてから、それに気づくことができた時。
そこに見える世界は、どんな世界なんでしょうね。
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16 : 22 : 33 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
ミカエルにお尻を叩かれそうですが。
2014 / 02 / 18 ( Tue )
確定申告の時期がやってまいりました。
こまごました入力が多くて、だいたいいつもどこかミスして、帳面とPC画面とにらめっこになります。

んじゃ、最初っからPCに入力して管理せーよ、とおっしゃりたいお気持はよーく分かりますが、
アナログなふつーのノートでの管理が自分に合っておりますのでね、いつもこの時期に「うへぇぇぇ。」となります。


というわけで。
当分、確定申告モードとなりますので、こちらの絵でお目汚しをば。

大天使ミカエルでございます。

ミカエル

あー。
がんばらねばー。
うおー。
10 : 55 : 01 | ミカエル | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
新たな調和へと導くラギュエルの剣
2014 / 02 / 13 ( Thu )
4倍サイズで、ご家族3名の天使の絵を1枚に描いてください、というご注文をいただき、
それをお届けすることができました。

また、奥様にはそれとは別に、通常サイズの絵もご注文いただきました。

ご家族の天使の絵

ご主人様の天使が、大天使アリエル、
奥様の天使が、大天使サンダルフォン、
お子さまの天使が、大天使ミカエル でした。

描いていて、

新しい調和へと向かっている

と感じました。
家族の関係性も、特に子供の成長に伴ってどんどん変わっていくものですし、
夫婦の関係も、子供とのそれに比べたらゆっくりかもしれませんが、これもまたどんどん変わっていくものです。

お客様のところも、どんどん新しい調和へと生まれ変わり続けるのだろうな、と感じました。


すると、
大きな絵を額装してもらうために、額屋さんに預け、
奥様の絵のためにカードをひいたところ、
大天使ラギュエルの「関係性の調和」というカードが出ました。

やはり、お客様にとっては、これがテーマなのだな、と思いました。
すると、ラギュエルの前に大きな剣が現れました。

家族だけでなく、人間関係の変化が、調和したものとして刷新され続けていくのか、不調和に陥ってしまうのか、は、
古くなってしまったものを潔く手放せるかどうか、が大きな鍵なのだろうな、と剣を描きながら思いました。

その「今までは必要だったけれど、これからは必要ではないもの」をさくさくと切り取る剣なんだな、と感じました。



以前、ザドキエルの「慈しみのワンド」というものがありましたが、
今回も、必要だと感じる人は、ラギュエルからこの剣を受け取ってみてください。
受け取るイメージをしてみてください。
(絵をご注文してくださったお客様がロットナンパー1番の剣で、他の方はそれ以降の番号の剣がラギュエルから手渡される……みたいな感じだと思ってください。)

大天使ラギュエル

ラギュエルの剣



14 : 20 : 17 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
「普通」というものの敷居の高さ
2014 / 02 / 07 ( Fri )
ツイッターで、イクラ(‏ @ikurakoikura )さんという方が、こんなツイートをされていました。



「正解」すらない「果てしなく難しい創造」を毎日やってかなきゃなんないってのは多分、連鎖よりも当人を疲弊させると思う。虐待事件が起きると世間はすぐ連鎖連鎖言うけど、あんなくだらない連鎖好き好んでしたいと思っちゃいないよ。それより怖いのは「普通」っていう敷居の高さに途方に暮れる事だ。

わすは被虐児ですが、世間様が思っているよりも遥かに「普通」を知りません。全てを想像で補うのは本当に本当に大変です。連鎖させないことと、子どもの心身を満たした生活を提供するのは違う。わすは後者を何も知らない。それはとてもとても怖いです。





「知らない」ということは、こういうことなんですよね。
知らないことを想像で補って創造し続けるなんて、ほんとにほんとにエネルギーをものすごく使い、疲弊しやすいことだと思います。

虐待と呼ばれるような経験ではなくても、私にも知らないことはいろいろあって、
娘が生まれた時に、「私、大丈夫かなぁ…?」と不安がよぎりました。

おかげさまで、いろいろクリアになって、今は「普通に」娘と接することができますが、
それができないままの人もいると思います。




そういえば。
このツイートを読んだ時に、小学校の同級生の子のことを思い出しました。

クラスが同じになったことはありませんでしたから、直接話したことはほとんどありませんし、
彼が何をどう感じていたのかも分かりませんが、
オカンが彼のお母さんから聞いた話が印象的だったのです。
(私が大学生くらいの時にオカンから聞きました。)

彼のお母さんは、弟くんの方はかわいいと思うのに、兄である彼のことはどうしてもかわいいと思えなかったんだそうです。
同じことをしても、彼がするとイライラしてしまう、と。

彼のお母さんが虐待めいたことをしたとは思えませんが、つまらないことで怒ったり…というのはよくあったでしょうし、
子供というのはそういう母親の心情を敏感に察知するものですから、彼の中には「普通のお母さん」は居ないままなのだろうな、と、思い出したのです。






「普通」ってのが一番難しいのかもしれませんね。
12 : 49 : 10 | Twitter | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「数」というものをどのように認識しているか?
2014 / 02 / 06 ( Thu )
今朝ですが、
情報番組をかけっぱなしにしておりましたら、社会人に算数のテストをしたとかなんとかゆーてました。

80年代入社の人たちは9割が正解なのに、2007年だったかなー?入社の人たちの正解率が4割だったという問題がコレ。


9 - 3 ÷ 1/3 + 1 = ?


これは算数ですよね。
小学校の算数ですよね。
なんで4割の正解率なのー????と、ビックリしました。


あ、もちろん答えは1ですけど。



ゆとり教育云々と言ってしまうのは簡単ですけど、もっといろいろフクザツな問題が絡んでるような気もしました。






さて。
その算数についてなんですが。


うちの娘は小学校1年生です。
保育園時代にはほとんど勉強らしい勉強を教えませんでした。
私は早期教育は不要だー、と思ってるので。
小さい子供は、食べることと寝ることと遊ぶことが仕事ですもん。

ダウン症の兄のために、おとーちゃんが毎日お風呂で数の数え方や簡単足し算とかは教えてますので、それで覚えたというのはありますが、それでもね、ほんとに簡単なものです。


なので、小学校に入ってから本格的に勉強をしなくてはいけなくなり、最初は多少大変そうではありました。
算数も、どうも足し算がよく飲み込めてない……といいますが、
もういい加減パッと出ないといけなくない?ってなっても、指で数えてました。

担任の先生も5月頃に「算数、大丈夫かなー?」と思ったそうで、やはりちょっとマゴマゴしてたようです。


というわけで、おとーちゃんが手作りのカードを用意して、娘に「数」というものを叩き込むように仕向けていました。
今では算数のテストはほぼほぼ100点をになってます。
ちゃんと「数」というのが入ったようです。



でね。
その時の話なんですがね。


4+5はいくつ?と質問されて、9とパッと出る……というのは、頭の中にその組み合わせがしっかり存在するからなんでしょうけど、
おとーちゃんと話をしてて、私の場合はどうやらちょっとオカシイらしいのです。

おとーちゃんが娘のために作ったカードの絵は単に丸が並んでるものでした。
丸という図形の並びの印象で数を叩き込むわけです。

でも私は「色」で入ってるんです。
えー、たとえば、8はエメラルドグリーンなんです。
なんで?って言われても、最初っからそうなんです。
1~9まで、それぞれの色があるんです。
なので、繰り上がりの計算も、色と色の組み合わせになるんです。


が。
だからダメなんです。
20以上だともう色がぐちゃぐちゃになって、するりと計算できないんです。
そこで違う頭の使い方に切り換えないといけなくて、
そうなるとなんだかとても時間がかかるので、計算がとても苦手なんです。

ソロバンを習っておけば良かったのかもしれませんが、私は習字を習ってまして、ソロバンは習ってなかったんです…。


ちなみに、九九も段ごとに色がついてます。
2の段は黄色とか。




そっかー。
最初が間違ってたのかーーー。
だから算数が得意じゃなくて、数学もデキが悪かったんだなー。


と、この歳になって分かったんですが、後の祭り過ぎますねぇ。
14 : 25 : 02 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
成熟するということ
2014 / 02 / 03 ( Mon )
誕生日からこっち、いろいろありました。



で。
まぁ、見えない世界のことで言いますと、

うぇぇぇぇー…。
げぇぇぇーー…。


という、過去世の物語が出てきたのでした。
2つの人生でのことですが、
1つはもう5年くらい前に分かっていましたし、
もう1つは、ここにも出てきている女性の人生でした。

ただ、その死についてはよく分かっていなかったのですが、今回、それらがハッキリ出てきまして、
うぇぇぇぇぇー、となっておりました。



うえぇぇぇー、となってはおりましたが、
おかげで、今の自分に関する問題の意味も(一側面でしかないにしても)分かりましたし、
5年くらい前に出てきてはいましたが、そのままになっていた女性も、癒されて光の蝶になって、私の上のヒトの1人であるファウの中に還ることができました。

もう1人の方は、肉体のこの私の意識であれやこれやと語りかけてみましたが、彼女が罪悪感から抜け出すことができないでいましたので、ファウに預けるということになりました。



さて。
そのファウですが。

さきほどリンクしたこの記事にもありますように、2年前の5月に、白雪と分離しました。

その後、白雪も成長したのですが、成長するにつれて、私の中では女性性の問題がぼこりぼこりと出るようになりました。
そのピークが2年前の秋でした。

しかし、去年の春に、白雪とファウが再統合したのです。
何かドラマチックなことがあったわけでもなく、なんとなくアレ?っと思って、上に繋いでみたら、あれれ???再統合してるやーん、いつの間に????ってくらい自然なものでした。

そしてその後も、別になんということは無かったのですが、
今回の件で、すっかりファウが成熟し、頼りになるハイヤーになっていることがハッキリと分かりました。


タミエルは、最初こそ少し頼りない兄ちゃんでしたが、認識してから2年ほどでかなり成熟してくれました。
しかしファウは最初から不安定で、ずーっと不安定なままでした。
それでももちろん、彼女なりにどんどん変容していきましたが、私の上のヒトのの中ではダントツで不安定でした。

それが、ようやく成熟に至り、かなりの安定感を醸しだしてくれるようになりました。
2つ前の日記にも書きましたが、誕生日が来て、人生を折り返したような、プチ生まれ変わったような、そんな感じがしているのは、ファウの成熟が無関係ではないんだろうな、と思いました。
ファウが成熟していなかったら、今回のうぇぇぇーという思い出しも許可されなかったのだろうな、と思います。




上と下は不可分で、
肉体の私の成長・成熟と、上のヒトたちの成長・成熟は影響し合っているのだろうな、と感じます。

そして。
どんな人生でも、どんな悲劇的な人生でも、そこには愛が隠れていること、
そして、肉体を持った存在にも、肉体を持たない存在にも、愛されているんだということ、

それらをあらためて教えられました。





それで、です。


成熟することというのは、
立派な人格者になることではないよな、と思ったのです。

もちろん、誰にでも優しく、賢く、広い見識を持つ…ような人間になれたら、それに越したことはないのですが、
成熟するというのは、
自分のダメなところもよく分かっていて、且つ、それを受け入れることなのかもな、と思ったのです。
もちろん、受け入れたからといって、それをヨシとするというわけではないです。
それこそそのままで成長が止まってしまいますものね。

そうではないんですが、
自分というものを受け入れることができたら、そこに安定感か生まれるんだな、とファウを見ていて思ったのです。

それが成熟することでもあるんだな、と思ったのです。


とは言っても、それがカンタンだったら誰も苦しまないんですけどね~。
ファウだってどえらい紆余曲折があったし、私自身もここまで来るのに45年かかってますからねぇぇぇ。







節分の今日。
こんな記事が書けるようになって、良かったなぁ、と思います。
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