「光に住して、光に囚われず。」
2010 / 05 / 31 ( Mon )
タイトルの言葉は、五井先生の言葉っす。
以前にも紹介した覚えがあるっす。



忘れてたよ。



ああ、そうかって、思ったよ。




光に囚われた瞬間に、闇とかなんだとかという「解釈」が始まって、なにかしらと「戦う」という状況になっていくんだ。

敵なんていないのに。
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17 : 53 : 13 | 五井先生 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
自分は「聞く耳」を持っているか?
2010 / 05 / 29 ( Sat )
最近、「聞く耳」に関することがチラリチラリと目につきます。


とある障害児のお母さんが、自分の子の状態について、他の人たち(それも自分より専門性の高い人たち)に、お母さん自身が我が子について認識している以上に問題がいろいろありそうだ、と指摘されて怒っちゃった、とか…ね。

なんだか「痛々しいなぁ……。」と感じることが多いです。




自分の意見を支持してくれる人の言葉は、そりゃ誰でもすんなり受け入れるもんだし、嬉しくも思うもんだけど、

その人の真価が問われるのって、きっと、自分の思っていることと全然違う意見に出会った時なんだろうな、って思います。



「あなたの意見はあなたの意見として、いちおー聞いておきますが、
私はあなたの意見を聞いて、自分の意見を変えるつもりはありません。」
と、いう態度で臨むのが良い場合もあるけれど、
たとえ耳がすごーく痛くても、その言葉を切り口として、今の自分とじっくり向き合わなくてはならない場合もあるハズです。



自分の感覚や考え方、自分自身に自信を持つということは大切だけど、
他人の意見をまったく聞かなくていいということではない。

そして、逆もまた然り。


すごく難しいな、と思います。
けれども、実はそんなに難しいことではないのかもしれないな、とも思います。

多分、自分の「中」が風通しよい状態になっているかいないか、という違いなんだろうな、と思うからです。






でね。
自分の「中」がすーすーと風通し良い人なら、特別になにかのヒーリングメソッドを用いなくても、
ただ、その場にいるだけで、なんだかみんなが癒されるんだろうな、と思うんです。
(あ。五井先生も同じようなことを言ってるな。そいえば。)





私は、自分が何がしたいのかよく分からないし、もちろん発展途上だし、お父ちゃんに耳のイタイこと言われて「むっきー!」って逆切れするし、ダメダメなんだけど、
でも、いつか、その場にいるだけでなんだか和んじゃう~って人になれたらいいなー、と望んでます。

そのためには、いろんなものをリリースして、軽やかになっていくことを志向してます。

……いや、その、ほんと、今はまだまだダメダメで、聞く耳もちゃんと持ってるかどうかもアヤシイけどさ、いちおーね、目指すところはそーゆー感じってことで。
えへへ……。
09 : 07 : 23 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
昨日は満月だったのかしら?
2010 / 05 / 28 ( Fri )
よく分からんのやけど、昨日がいわゆるウエサクの満月だったのかしら?
確かに月は丸かったちっくだったけど。
(今年は月カレンダーを購入してないから、ぜんぜんチェックしてない。新聞の月齢も見てないや。)


てのも。

ウチは障子の部屋で寝てるんですが、
子どもたちもとっくに寝て、私も嵐の番組を堪能し終わり、仕事で遅くに帰ってきたお父ちゃんがお風呂に入ったので、
さて寝ようかね~~~、と思ったら、

障子の向こうが明るいんですね。



ああ、そうか。
今夜だか明日の夜だかが満月らしいよね。


と、障子を少し開けたら、すーーーーっと月明かりが部屋の中に入り込み、丁度、私の枕を照らしていました。


お?
これは横になりながらお月見ができるんじゃないか???


と、思い、いつもは付けている豆電球を消して、障子を少し開けたまま横になってみました。





おおおおおおお。
丁度いい角度でお月さまがキレイに見えるぞ~~~~~。
月光浴や~~~。





と、(外したらすげーボンヤリとしか見えないため)メガネをかけたままお月さまをのんびり眺めていました。










が。
ふと気づいたら、寝てました。あたし。

あーあ。
多分、お月さまをまったり眺めてたのって、ものの数分だよな…。
眠気の圧勝。
14 : 54 : 22 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
信頼する、ということ。
2010 / 05 / 27 ( Thu )
昨日は、保育園の保護者懇談会もあり、そして小学校の特別支援クラスの保護者と校長先生との会合もありで、午後は忙しかったです。

保育園の方は、まったりとしていて、なんとも和んでおったのですが、
小学校の方は、やはりそういうわけにはいきませんでした。


いろいろあるよね。やっぱり。


でも、親がどういうふうに感じてるとか、考えているとかを、他の(支援クラスの)父兄と校長先生に伝えられる場を設けてもらえるというのは良いことだよなー、と思いました。



で。
その会合の中で、とある(キレイな!)お母さんが、ものすごくハッキリとご自分の意見をおっしゃっていました。
ええ、キツいこともね。

その意見の中に、支援クラス担当のとある先生のことは能力が低いし信頼できない、と、ものすごくぶっちゃけたことをハッキリ言われてました。

うおおおおおお!
このお母さん、美人さんで優しそうなのに、ハッキリ言うな~。
すごいな~~~。

と、のらりくらりな私はビックリしました。
だからと言って、彼女がハッキリ言うことは悪いことだと思いませんでした。
それがクレームではないってのは分かりましたもん。
(それに、親がハッキリ言えるって大切だと思うし。)

その先生って、主に息子ともう一人高学年の子の勉強を担当されてるんです。
なので、この2カ月ほどの間の先生と私との間のちょっとしたやりとりから、私も
「あー、この先生は、ちょっと頼りないなー。」
と、感じてましたから。





でもね。

彼女と校長先生とのやりとりをボケーっと見ながら、いろいろ思ったんです。

親としては、彼女の気持ちはすごーーーーく分かるんです。
そして、どんな親でも、自分の子どもの担当となる先生は、「先生能力」が高くて、性格もいい人がいい、って思うハズです。

けれど、そんな優秀な先生ばかりじゃないのも事実。
いろんな子ども、いろんな親がいるように、いろんな先生がいますからね。

そうは言っても、やっぱり子どもをよりよい環境に置いてやりたいと思う親心は絶対に否定されるものじゃないです。
(モンスターペアレントはアカンけどな!)



難しいことだよなー……と、思いつつ。


思いつつ、会社員時代のことをいろいろ思い出しました。
「あの上司は全然ダメやよねー。デキへん人やん。」
と、同僚と愚痴っていた私とかを。



デキる人はスゴい。
デキない人はダメ。


会社という「利益」を追求していく場においては、特に「デキない」ことは「悪」になりやすいよなー、と今さらながらに思います。

でも、そうだとしたら。
「デキない先生」をダメだと切り捨ててしまったら。


それって、知的障害のある自分たちの子どもたちも「デキない人」という見方をすることになるよな……と、思ったんです。



デキない人をダメだと切り捨てる社会を作っているのは私たちなのに、
効率主義で知的障害のある人に働く場所を与えない社会はダメだ言っているのも私たち。


じゃあ、「今の私」がすべきことは?





それは、多分、先生を信頼することだよな……。





と、やっぱりそう思いました。
私がダメだと思う先生は、
反社会的性格であることはもちろんですが、
なにより、息子をかわいがってくれないとアウトなんです。

あの子のあの笑顔を見ても、ちっともカワイイと思えなくて、ただいかに勉強を進めるか身辺自立を確立させるかばかりを見ている人だったら、アウトです。
「子どもってムカつくことも多いけど、でもカワイイんだよなー。」という心がその人に「先生」という職業を選択させたのであって欲しいのです。

それは、デキるデキないよりも、私にとっては一番重要なことなのです。




担当の先生は、確かにものすごく不器用そうな人ですが、息子の笑顔をカワイイと思ってくれてるとは思うので、
息子との時間の中から、何かを先生も見つけてくれたらいいなー、と思っています。

私が「信頼する」というのは、そういうことです。







てなことを、ぼけーと考えていたら、校長先生が私の方を見て、
「(○○先生は信頼できないという発言を聞いていたら)あまりいい気持ちはしないですよね?」
と、気をつかって話をふってきたので、

ぼけーっと考えていたことをつらつら話させてもらいました。






そしたらね。
今朝、あの美人のお母さんからお手紙をもらいました。
私の言葉に、何かちょっと感じたことがあったようです。
メアドもいただきました。

愛情深くて、子どものためにハッキリと意見がいえる彼女は立派だとほんとうに思います。
そして、違う考え方に対しても何かを感じ取れる感受性を持ち、それを伝える行動力があるのも素晴らしいと思います。



私の方こそ見習わなアカンがねーーー!

10 : 50 : 37 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
いろんないろんな守護存在が私を護ってくれてるとは思うんだけど。
2010 / 05 / 26 ( Wed )
ボスんちのちゅまちゃんも、人間に転生したのは初めてだそうですが、
こちらのブログの娘さんもそのようです。

http://fineengel.blog10.fc2.com/blog-entry-351.html

で。
上記記事を読んでいて、

**--------------------------------------**

この、霊でありながら肉の中で生きるという
人間という生き方は、ともすれば肉体のない
よからぬものに乗っ取られてしまい、現実ばかりに目を
向ければ良心が蝕まれるという非常に微妙なバランスの
必要な生き方であると思います。

**--------------------------------------**

という言葉に頷いてしまいました。
絶妙なバランスをとるというのは、簡単じゃないですよね。



私は霊感っちゅーものがほとんどありません。
オカンと弟1号はバリバリだったし、霊障もけっこーあったので、

「霊感があるとエライこっちゃなー。あたしはふつーで良かった良かった。」

とすら思っていたのです。
……思っていたのですが。


10年ほど前、フタを開けてみたら、私もがっつりエライこっちゃの状態だったんです。
書き出すと長くなるから割愛しますが、
霊能師の先生の(当時の)言葉を借りれば、

「君の霊魂は、さみしーよーつらいよー、っていう先祖霊に対して、『あ、じゃあ私のところに居てもいいよ。かわいそうだから。』とすぐに許可しちゃうんだよねぇ……。」

ってことらしくて、ハッキリ言ってお人好し過ぎらしいのです。
ダメじゃん。ダメ過ぎるやん。
肉体の私が困るやん。


ってことで、物質界の私が「そーゆーの、ヤメ。」と強く決断すりゃいいんだろう……と思っていたのですが、

これがまた人間の不思議さっちゅーかなんちゅーか。


当然ですが、肉体のエネルギーが枯渇していくことになり、しんどいなんてもんじゃないわけですよ。
そーゆー状態って。

で、肉体の私は「やめろー。そーゆーのはナシだってー。」と強く強く強く思うわけなんですが、
これが、ほんとーーーに心の奥の方の奥の方から強く思っているのかと言うと、
………なんとなーーーーくアヤシイのです。


この感覚、分かるかなー?



今は「憑依」ってハナシを軸に説明してますけど、そーゆーことだけじゃなくて、いろんなことにおいて、


一番表層の意識では強く決断しているつもりでも、
奥の奥の方で思っていることはアヤシそう。


ということってたくさーーーんあると思うんです。
で、それに気づけばまだマシなんだけど、気づかないことの方が多いかもね、とも思います。




もちろんね。
宇宙一のヒプノマンであるPさまに手助けしてもらう、という手もあるし、
他にもいろんな方法があるんだけどね、
(そして、確かにお祈りを10年ちびちび続けたことは、かけがえのないことだったし。)

表層意識が「本気で強く決断する」というのは、
「あー、こーゆーのイヤだ~。あーゆーがいい~。」
って程度の思いとは全然レベルが違うんだろうな、と思うようになんてきたんですよ。
でもって、やはり「強い決断」でなければ、ほんとーに変わっていけないんだろうな、と思うのですね。


でもって、その「強い決断」というのは「欲」というレベルではなくて、「ほんとうの私が望むこと」とリンクしたものでないと、錬金術で金に換えるのではなく、金メッキになっちゃうような気がするんです。
(けど、『とりあえず』ってことも大事なのは十分分かってるよ。)



あ。
違うか。

「ほんとうの私が望むこと」に、指先だけでも触れたら、泉が湧きだすような感じになるかなー。



ま。
いいや。

とにかく、「なんかアヤシイ」というのは、やっぱりアヤシイんですよ。

やっぱまだちゃんと「ほんとうの私の望むこと」にリンクしてない感がどこかにあるんだよなー。
「憑依」のこと以外でもね。あれとかこれとか。






でも、イヤなものはイヤだよ。
当然イヤだ。

けどね、なんやかんやで「しかたがないよね。」と思えるうちは、まだ余力があるんだろうなぁ。
「あー、ほんとーにもうコリゴリ。」って腹の底から思えた時が、変わり時なのかな。

10 : 54 : 11 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
「贅肉は財産です。」
2010 / 05 / 24 ( Mon )
2カ月くらい前だったかな…?

テレビのチャンネルをなにげに変えてみたら、テレビショッピングで矯正下着の説明をしていました。
その商品の説明をしてた女性社長さんが言いました。



「贅肉は財産です。」




多くの女性の体型を見てきた彼女は、矯正下着で贅肉を移動させれば、「見た目が悪い体型」がいい感じになるのだから、贅肉は財産だ、と言い切ってました。


その時は「へー。」としか思わなかったんですが、ある時この言葉をふと思い出しました。
そしたら、

そっか。
マイナスだと思ってることだって、それは実はマイナスじゃないってことはたくさんあるんだろうな。

と、するっと自然に思えたのです。
ポジティプに考えろ、とかそーゆー言葉はなかなか私の中に入っていかなかったのですが、この言葉はするっと自然と分からせてくれました。
「視点の移動」ということについて。


無理矢理に頭で「こーゆー問題にも、意味があるに違いない。」と言い聞かせるのとは違って、
「見かけ」の向こうにある「実体」がどこらへんにあるか、がなんとなく分かったような、そんな感じがしたのです。






もちろん膝に負担がかかりすぎるとか、生活習慣病になるほどの「財産」はどこかに寄付でもして、ちょっとスッキリした方がいいけどね。

10 : 40 : 31 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
5月28日
2010 / 05 / 24 ( Mon )
シエルさんのブログにナオートさんからのメッセージが載っています。
必要な人のところに届きますように。

http://plaza.rakuten.co.jp/keanu/diary/201005230000/


09 : 46 : 24 | おすすめ | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
五感にちょっと毛が生えたくらいでも、きっと丁度いいんだ。
2010 / 05 / 23 ( Sun )
ちょっと思い当たるフシがひょっこり出てきたんで、
金星とマルデックのこと、検索かけてみたんですよ。



そしたらねー、
いろんな人のいろんなお話があってねー、
みんななんかちょっとずつ違うのね。
(アモラの本と「フラワー・オブ・ライフ」に載ってることでも差異がかなりあるけど、さらに混沌とした。)


いわゆるチャネラーさんとか、自分の記憶とか、ハイヤーさんに教えてもらったとか、アカシックにアクセスしたとか、いろいろあるんだろうけど、
けっこーバラバラで、どれが本当なのかなんてさっぱり分からないんだけど、


それでも、遠い星の文明人たちがこの太陽系に入植してきた、というアウトラインは同じなんだよね。
とりあえず、それはアリっちゅーことにしときました。

しかし、ほんとーにいろいろなバリエーションがありますね。





あたしね。

相棒ののりすけちゃんみたいな生まれつきのサイキッカーじゃないし、
前世でもかなりお世話になったシエルさんのような凄腕ヒーラー(←精進の結果!)じゃないし、
娘さんと一緒に読者参加型のいろんな世界を展開してるじぇいど♪ボスみたいに短期間でガンガン変容してるわけじゃないし、
宇宙ステーション等の「上」にマイドラ「時環」に連れてってもらっても、ぼんやりしたイメージしか浮かばないし、

なんてゆーか……
みなさんほどの体感・実感・リアリティが五感以上の感覚においてはなかなか感知できないのですよ。
ひじょーーーにゆる~~~~いのです。

ま、たまにミカエルとか観音様とかファウとかが脳内会話でガッツリ語りかけてくれることはあるけど、それはあくまでめっちゃ個人的なことについてだしね…。



で。
そうであるということは、つまり、大なり小なり「世界」を知ろうとした場合は、いろんな人の話を読んで、「へー。」と思うことがほとんどだってことです。

自分がリアルに感じとった「情報」というのは、ほんのほんの少しで、
あとは、他の人の言葉を、「直観」なり「思考」なりで、自分の中で取捨選択して落としこんでいって、少しずつ「形」を構築していく……という作業を常にしていかなければならないわけです。




そのため、「これが私の感じた真実です。」と迷いなく言えるほどであればなぁ~……、と、やはり心のどこかで思っていた自分がいたんですが、
このところ、なんとなくなんですが、提示できるハッキリとした根拠とかは無いんですが、




こーゆー自分でいいんじゃないの?




と、感じるようになってきました。
『いろんなことが視えて、いろんなことが分かって、人に示す』という役割ではないのなら、
過不足無いんじゃないか?と、思えたのです。

てか、そーゆーのは私の魂にしたら×なのかも、と、ほんとに根拠無しでそう感じたんですよね…。

だから、上の自分(タミエルとファウとミルラ・ム)が上の誰か他の人とリンクしながらリアルタイムで業落としの物語を紡いでるってことがほとんど無いんだなー、と、なんだか妙に納得したりしました。
(上で宴会したり、というのは別ね。あれはお遊びだから。)




上のことがもっとハッキリ認識できればいいのになー、とか、
五感以上の感覚がもっとクッキリしてきたらいいのになー、とか、

いろんな人の本やらネット記事やらを読んでると、つい思っちゃうことがどうしてもあったけど、
多分、ほんとに、過不足無いんだろうな、と心の奥の方から思えたのでした。


もちろん、これからどうなっていくかは自分でも分からないけどね。







……しかし、スピ的太陽系史のバリエーションについては、もちょっとスッキリして欲しいなぁ。

18 : 07 : 21 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
「癒される」って?
2010 / 05 / 21 ( Fri )
2つ前の日記に、のりすけちゃんが書いてくれたコメントを読んでいたら、



……「癒される」ってどういうことだろう?



と、思いました。
よくよく考えてみると、実は私はよく分かってないかもしれないな、と感じたんです。

神様と自分という構図だと「救われる」「赦される」なのが、
自分だけにフォーカスすると「癒される」になるのかなぁ…。



ま、もちろん救われない状態も赦されない状態も癒されない状態も、自分がそうであるというだけで、ある意味幻想なんだろうけど、
それでも、それが課題でもあるから、なんだかややこしいんだけど。


あとね。
「女性性の解放」ってのもね、分かるような分からんような…。
多分、あたし分かってないなー。
09 : 36 : 57 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
その違いが本当に分かるのに、私は何年もかかった。
2010 / 05 / 20 ( Thu )
「委ねる」のと、「何もしない」というのは、まったく違うよね。

21 : 59 : 15 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
昔からそうだけど、自分のことってさっぱり分からん。
2010 / 05 / 20 ( Thu )
この1週間ほどなんとなくぼんやり考えておるのですよ。




私って、何がしたいの?




って。
今までも人生の中で何度も何度も自問してきた問いではありますが、今までよりももっと深いところでの問いとなってます。

そうなんです。
同じ問いでも、今までとはちょっと違うのです。


なんのために生まれてきたの?って問いじゃなくて、
何がしたいの?って問い。



別に何かしたいことなんてなくて、問いはいつも虚無の海に手をつっこむような感覚になるけれど、
でも、それもアリなのかも、と、なんとなく感じるのは、なんでなのかな。

霊の、魂の、無意識の、意識の、「私のすべての私」がしたいこと、求めてることって、何なのかな…。










ま。
とりあえず洗濯物畳んで、夕食を作ろ。
私、お母ちゃんだもん。
16 : 54 : 37 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
天使のサポート
2010 / 05 / 19 ( Wed )
2日連続で小児科通いをしたたみえお母ちゃんです。
こんにちは。


でもねー。
一昨日は1時間待ちだったけど、昨日は15分待っただけだったんすよ!

電話したけどもう予約がいっぱいで、1時間待ち覚悟だったけど、
昨日は熱が下がってきて動き回れる息子も連れて、保育園で吐いちゃった娘の診察に行ったからねー、こりゃえらいこっちゃ~、と思ってたんすよ。
(一昨日は高熱のため1時間待ちでも息子ぐったりで、もちろんじっとしてた。)


なので、小児科まで運転しながら、
「ミカエル~~~(←呼び捨て)、ラファエルさ~ん、おねがーい。駐車場にもするりと車停めさせて~~。
でもって、待ち時間はせめて30分くらいに調整してーーー。おねがーーーい。熱が下がってきた息子ちゃんがいるから~~~。」

と、お願いしまくってましたのよ。


そしたらビックリ。
予約の人たちがのきなみちょっと遅れてきてくれたし、
息子は息子で信じられんくらいすげーーーーーイイ子にしてたし、
おかげで、待ち時間はちょっとだけだし、息子を追いかけ回さなくてもいいし、で、ほんとーーーーーーーに助かりました。





火曜日から私も体調がよろしくないので、まったくもって昨日は助かりましたわさ。
いや、火曜日はお父ちゃんに仕事を途中で抜けてきてもらったからね、さすがに昨日はね、お母ちゃんだけでなんとかしなきゃ、って思ったワケですよ。
体調がイマイチ~とか言ってられんかったワケですよ。

だからねー、ほんとにねー、天使さんたちのサポートは心からありがたかったっす~~~~。
生き方っちゅーか、精神的なことっちゅーか、形而上的なことっちゅーか、そーゆーサポートもありがたいことだけど、
小さい子たちのお母ちゃんにとったら、こーゆーサポートが何よりありがたいですわ。
10 : 01 : 06 | 天使 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
その「手」は……。
2010 / 05 / 16 ( Sun )
筋トレです。
http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/week/weekly.html


明日からの山羊座。
何度読んでも濃いし、美しい。


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2010/5/17-2010/5/23 やぎ座の空模様。


情愛のこもった、深い叡智に富む、
辛抱強く誇り高い手が、
貴方の心の底から何かを掘り出しつつあります。
貴方の潜在的なパワーや、
貴方が本当に欲してきたものに、
高く善き手が触れて、それを導き出す
というイメージの週です。


今まで孤独を感じていた人も
その孤独の扉を開ける誰かの姿を
そこに見いだすのではないかと思います。
今週もし、それが起こらなくとも
来週か再来週、その光景に遭遇することになるかもしれません。
今、愛と知は一体になっています。
深く考えることや学ぶこと、責任を果たすこと、など
努力や義務もまた
愛の世界の一族として、貴方に働きかけているようです。
浮薄な楽しみや安楽な閑居ではなく、
あくまで濃密で多忙な日常に、明るい濃い色の花が咲き乱れているような、
生き生きした厚みのある時期だと思います。

21 : 26 : 02 | 筋トレ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『人類が生まれるための12の偶然』
2010 / 05 / 14 ( Fri )
本屋で平積みされていました。
岩波ジュニア新書ということで、すごく読みやすいです。

読みやすいんだけど、宇宙創世のことや太陽系のこと、古生物のことなどがある程度ざっくり分かるように書かれています。
なので、文系の人にもオススメです。
これで780円はお値打ちですよ。ええ。


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17 : 41 : 41 | おすすめ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
正直
2010 / 05 / 13 ( Thu )
ウィリアム レーネンさんの言葉っす。
http://www.williamandkevin.com/?eid=4531


ついね、遠回しな表現したり、
いや、遠回しくらいならいいけど、遠過ぎて全然違うこと言ったり……って、しがちです。

あたし、いろんな意味で覚悟が足りないや。

23 : 29 : 33 | おすすめ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
生きたいように生きている。
2010 / 05 / 12 ( Wed )
たとえば。

自律神経失調がヒドかったし、発作持ちだし、
そのうち広場恐怖にもなっちゃったし(←まだ完璧には治ってない)、
冷え性ヒドいし、お腹はすぐに痛くなるし、その他いろいろ不調アリ。

心療内科とかではどうにも頭打ちだったし、漢方薬でも完治には至らないし。




まー、なんだ。

いろんな理由があるんだろうなぁ。
生まれつきの体質・性格ってことは、そーゆー家系的カルマとか、
結婚した先のカルマとか、個人の「魄」のカルマとか、「魂」のカルマとか……。
エネルギー的な問題とか、あれやこれや。


なんかね、なんとかしたかったのよ。

やりたいことができない。
生きたいように生きたい。


って思って、焦って嘆いて落ち込んでもがいて耐えて。
理由を見つけ出して、そいつの首根っこ押さえて、「解決」したかったのよ。




もちろん今でもその気持ちはガッツリあるよ。
痛いの苦しいのって絶対イヤだし。
でもね、なんかね、


あー、生きたいように生きてるんだな。あたし。


って、ふいに、なーんとなく思える時があるんですよ。
心の奥の奥。
魂に近いところで意図してるように生きてるんだなーって。
だから、「理由」なんて、どーでもいいや、って。(←なげやりな意味じゃないよ。)

……たまにね。腹の底からそう思える時があるんだよね。



心の奥の奥の意図と表層意識の自分の想いとが反するからジタバタするわけだけど。

でもさ。


同じような状況がいつもいつも繰り返してやってきたり、
同じような感情がいつもいつも繰り返してやってきたり、

ってのは、やっぱり自分がそうやって生きたいんだよ。
なにか理由があって。

だけど、理由を探すだけじゃ、多分変わらないんだよね。
迷って迷って悩んで悩んで、理由を探して探して探しつくして、どこかですこーんと「……もういいや。」(←しつこいが、なげやりやあきらめとは違う。)って思えたら、
やっとそこで「リリース」ってことになるのかな、と思うのですよ。


私の場合はまだ「プチプチ・リリース」というか、超・一時的というか、そんな感じなのでまだまだだけど、
そういう境地にたまーーーになれるようになって、はじめて「そっか。」って分かった気がして。
いや、ほんとに「気がする」だけなんだけど。







だからさ。

いろんな人が、同じことの繰り返しにうんざりしてるとは思うけどさ、
まだまだ足りないのかもしれないよね。
もっともっと真剣にジタバタしないと、「もう、いいっか。」って手放せないものなのかもしれないよね。

いろんなことを試して挫けて、いろんなところを探して失望して、いっぱい怒っていっぱい泣いて……って、
それが実は一番の近道なのかもしれないよね。
苦しいけど。





いろんな言い訳を探して迂回したり、(上滑りすような)ポジティブな言葉に逃げたり、って中途半端なことするよりも、
がっつりジタバタする方が心の奥の奥の意図に合うような気がするんだよなぁ……。


だって、そうやって生きたいんだろうから。
やっぱ、私たちは生きたいように生きてるような気がするなぁ。
10 : 42 : 21 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ダイアモンドと鉛筆の芯
2010 / 05 / 11 ( Tue )
マイミクの「風使いのろっくさん」がセレナイトを水につけたらどうなるか大実験……ってやってまして、

その日記に、
「セレナイトも石膏の一種だから、時間かけて水に溶けますよー。」
とコメントしたんですね。


で。
ろっくさんのお返事を読みつつ、ちょっと思ったんですが。




ほら。
ダイアモンドって炭素のかたまりでしょ。
がっちがちの共有結合をしてるから硬いし、透明な結晶になってるんだけど、
これが層状の結晶となると、鉛筆の芯になっちゃう。



物質としては炭素のかたまりなのに、
結晶構造が違うだけで、見た目も硬度も価値も全く違ってしまう。




たとえば、ミカエルがダイアモンドだとしたら、私は鉛筆の芯。
ミカエルも私もみんな炭素のかたまりって意味では同じだけど、結晶のあり方(エネルギーの高さ)が違うんだなー、って。

今の私は鉛筆の芯になるエネルギー状態なわけだ。
人間だもの~。


なーんて、そんなことをチラリと思ったのでした。



ちなみに。
炭素のかたまりは高温高圧下で高いエネルギーを得たら、ダイアモンドになるんだよ。
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なつかしい人、なつかしい光景。
2010 / 05 / 10 ( Mon )
大学時代、所属してたサークルは大所帯でした。
大好きな先輩もいっぱいいたし、私自身はダメダメだったけど、同回生のみんなのことはなんやかんやで好きだったし、大好きな後輩もいっぱいいたし。

で、その後輩の中に、ダイサクって子がいて、1学年下の2歳年下の男の子。
なーんか彼のことがすごーく好きでした。
私は大学1年の冬に身体を壊してから、サークル活動にもちょこっとしか参加できず、ボックスでぐだぐだオシャベリしてるだけの先輩でしたから、彼にしたら先輩というより、ただの女友達みたいな感覚だったのかもしれません。

なんにせよ、仲良しでした。




しかし、私も就職し、彼も大学院卒業後に就職し遠いところに行ってしまったので、社会人になってから会ったのなんて、ほんとに数回しかありません。

それでも、たまに「元気かなー?……元気だろうな。」ってふと思う時があります。





さて、今朝。
起きる直前に見てた夢に、彼が出てきました。
あ、彼以外にもいろんな友達が出てきましたが、いかんせん夢なのでめちゃくちゃな状況でした。
なので内容はさっぱり覚えてないんですが、起きる直前に彼と話をしてるところを見てたので、起床後、
「うおー、久しぶりに会ったな~。うれしーなー。」
と、そんなふうにすら思いました。




で。
今日の午前中。
なにげにたまたまテレビをつけたら、ちょうど全国放送のNHKの番組に我が母校のキャンパスがどかーんと映っていました。
新入生の勧誘のための立て看板も並んでいて、私が所属していたサークルの名前もどかーんと映っていました。
(でも番組の内容には興味無かったので、チャンネル変えちゃった。)



めっちゃなつかしーーーーー。



……んだけど、今朝の夢といい、テレビといい、なんかお報せしてる?なーんて思っちゃいますよ。
こーゆーのもシンクロのうちに入るのかしら。


てなわけで、何かお報せがあるなら、もちょっと具体的にお願いね、と天使ずに言っておきます。そうします。
21 : 06 : 35 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
心の澱も排水口のドロドロも溜まってしまうものだ。
2010 / 05 / 10 ( Mon )
いっこ前の日記に、takakoさんがコメントを入れてくれました。
驚いたよぉぉぉぉぉぉぉ。

で。
そのコメントを読んでいて、ちょっとホッとしました。
というのも、実はこの2~3カ月ほど、ちょっと「澱」みたいなものが溜まってんなー、という感じだったんです。
天使の絵に対しての自分の気持ちっちゅーか、なんちゅーか。

もちろん、絵を描いてる時は今までと変わらないんですけど、なんかね、ほら人間って欲が深いでしょ?
向上心って言えば聞こえは良いんだけど、「欲」が全くないかというとそれは嘘なんだなー。


てことで、takakoさんのコメントを読んでたら、
「あー、初心に戻ればいいんだー。」と、ふと楽になったんです。
よかったよかった。




……でもね。
天使の絵についての「澱」は取れたけど、今朝は起床時からなーんとも気持ちが重かったんですよ。
全般的な「澱」みたいな感じ。

こーゆー日はダメですなぁ……。
ドラッグストアのレジではすげー待たされたし、スーパー行っても駐車場でまごまごしちゃうし、帰り道も何故かいつもより車の通りが激しくてまごまごしちゃうし。んでもって買い忘れいっぱいだし。他にもこまごまといろいろ。
なーんかいつもよりガクンガクンって躓くような感じ……。
でもって、洗濯機の排水口が詰まって溢れちゃうし。

ウチは借家なんですがね、洗面台・洗濯機周りが狭いためにお父ちゃんお手製の棚を洗濯機のところに設置してるんです。
なんとかギリギリ。かーなーりギリギリ。
そのため、排水口をもっとマメに掃除したくてもなかなか難しいのですよ。
棚を動かさないといけないので大仕事になっちゃうんです。

で、排水口が溢れてきた時に慌てて掃除する……というパターンなんです。


いつもはデカい棚や重い洗濯機をお父ちゃんが動かしてくれるんですが、お父ちゃんを待ってたら遅くなっちゃうし、仕事で疲れてるのに手伝わせたら絶対に不機嫌極まりないだろうから………ってんで、どうせ上手くモノゴトが進まない日なんだから、頑張って排水口の掃除してスッキリするかーーー、と始めてみました。一人で。



キツかったです。洗濯機をパンから半分移動させるのが特に。
ドラム式は余計に重い気がするっす…。
それに、ドロドロになってたパンも排水口もかなりの強者でした。
(手洗いでまず泥汚れを落としてから洗濯してるんだけど、やっぱりどうしても…ね。お父ちゃんが畑仕事するし、息子は保育園時代なんて毎日ドロドロだったし。でもってウチのドラム式は小さいゴミはスルーっていう仕様らしいし。)

棚がなけりゃもっとマメに掃除できるから、ここまでにはならないんだけど、だからって棚を外したらすご~く不便だし、んじゃ半年に一度とか決めて掃除するっかってゆーとそこまで立派な主婦じゃないし、それより庭の草を抜かなきゃならんし、ああこの1週間でぐーんと草が伸びてきたよなー、とうとう蚊も出てきたし、やだなー………と、ぐるぐる考えながらドロドロと格闘していたら、


なーんか、人間もこんなふうに汚れが溜まるものなのかもなー。
掃除しにくーいっちゅーか、制限バッチリっちゅーか、詰まりバリバリっちゅーか、
そんな感じがデフォルトで、こうやって汚れが溜まっちゃうんかもなー。
だったら、この場合、棚を外すのが一番いいのか??
でもなー、心もきっと棚にいろ~んなモノが積んであるだろうから、まずそれを整理せんとアカンのか?
ああ、んじゃ、やっぱりセルフヒーリングしつつ「もう不要なものは手放しまーす。」って宣言するとかさ、五井先生のお祈りしながらそのお祈りの中に要らんもんを全部入れちゃうとかさ、セルフヒプノでクリアな自分をイメージするとかさ、そーゆー日々のコツコツ作業が一番大事なんだよなー。
基本をおろそかにしてたら、成長も何もねーよーなー。そうだよなー。


と、そんなことが頭に浮かんできました。
掃除は修行ですな。


というわけで、かなりの時間をかけてキレイに排水口およびその周辺を掃除したら、なんだか心もちょっとスッキリしました。
「澱」もドロドロと一緒にお掃除できちゃったのかもしれんですね。


すると、その後、息子を小学校まで迎えに行ったら、いつもは挨拶しかしない(他の支援クラスの子の)お母さんといろいろ楽しくおしゃべりできたり、
学校に着くまでは雨が降ってたのに子どもたちが出てきたら雨がやんで、帰り道は傘無しでお手々つないで帰ってくることができたり、
娘のお迎えの時もその時だけ雨がやんだり、
スーパーに買い忘れのものを子どもたちと買いに行ったら、いい場所にすっと駐車できたり……と、なーんかモノゴトがすーっと通るようなそんな感じになりました。


文句言わずに前向きに何に対しても取り組めたらそれか一番良いんだとは思うんですが、
「あー、めんどくさーい。いやだー。なんでこんなふうなんよー。」と、文句が反射的に浮かんできたとしても、
やる時にできることを頑張ってやれば、それでもいいのかもー、と思いました。
「デキた人」じゃなくてもいいからさー、って感じで。


あたしね、基本はせっかちなんですよ。
ほんとは、最短コースを選びたい、最大効果を狙いたい、って気持ちがあって、結果を早く見たいんでしょうね。
山羊座だなー、って思いますよ。ええほんと。
結果出せないならやらない、効果的なプロセスを選択して出す結果が全て、てのが山羊座ですもんねぇ。


子育てって「非効率」の極みなので、かなり鍛えられましたが、それでもせっかちな部分は強いんで、いろんな時にそれが顔を出してきて、イライラしたり逆にやる気を全く失くしたりします。
そこらへんの「澱」も溜まりやすいってなもんです。
デキた人、デキた母親、デキた女性のイメージが何かしら自分の中にあって、それからかなり距離のある自分も分かっているから、せっかちな私は自他のいろんなところにダメ出しをしたりしちゃうんですね……。

けど、排水口にドロドロが溜まらないようになんとかしようとアレコレ考えるという方向だけじゃなく、
今の状況を受け入れて、掃除する時に頑張ればいいや、って思う方向もアリだよなー、と思えたのです。
お掃除しながら。


てことで、基本は大事に。
コツコツとお祈りして、セルフヒーリングして、セルフヒプノして、チベット体操しよ。
一足飛びにデキた人になれるわけないんだもん。

18 : 02 : 38 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
天使画
2010 / 05 / 08 ( Sat )
……を描いてるつもりっす。
別に肉眼の目にも、第三の眼(←そもそも機能不全)にも「姿」として見えてないけど。

てなわけで、「天使画」はいいっちゅーことらしいっす。
変な枕詞つけなければ。
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-125.html



よよよ姫から
「たみえるにtakakoさんがお返事してるみたい。」
ってメッセージをもらいました。
あははは。


なんか、こーゆー流れになるとはもちろん思ってなかったし、彼女にOKを出してもらいたいとかそーゆーつもりも全く思ってないんだけど、
なんか、ほんと、お返事みたいで笑えちゃったです。
20 : 23 : 34 | 天使 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
この「宇宙」のさらに向こう
2010 / 05 / 08 ( Sat )
以前、ブログかmixiの日記か、その両方か忘れたけど、書いた覚えはあります。

子どもの頃、小学校高学年くらいか中学校前半くらいか……それくらいだったような気がするんですが、
オカンが持ってた高橋信次さんの「原説・般若心経」って本の最初の10ページくらいを何気に読んでみたら、


「ああ、ここに書いてあることって、私、知ってる。」


って思って、それで読むのをやめたんです。
でも、大人になってから本屋で同じ本を見かけて、その時のことを思い出し再び読んでみたんですが、私が何を知ってると、そんなに深く感じたのかが、その記述からはさっぱり分かりませんでした。

そうなのです。
すごく深く、確信よりも深く、そう感じたのです。
あの時。
でも、今の私にはさっぱりわかりません。

ただ、その時に頭にあった物語はかすかに覚えています。


この「宇宙」はある女性の想いの反映であり、その女性が意図したようにデザインされている。


そんな感じの物語でした。
私は5年生の頃から2年間ほど、プロテスタントの教会の日曜学校に通ってたんですが、
その物語に対して、

「(聖書でいうところの)神様も『この宇宙』が生まれたのと同時に生まれたんだな~。」

と、なぜか思ったんです。
聖書で記述されているように神が宇宙を作ったんじゃない、となぜか思ったんです。

神様が作ったけど、神様が作ったんじゃない。

このあたりの感覚をうまく表現できなくて、「同時に生まれた」という言葉になったんだと思うんですが。
とにかく、そんなふうに思ったのです。
……いや、今でもうまく表現できないな。











と、いうことを、3日ほど前にふいに思い出したんですが、
そしたら、某さんの今日の日記にもちょっと似たようなハナシが載っていて、
「ありゃ。」と、不思議な気分になりました。
18 : 06 : 16 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
『「それさえなきゃ良い人なんだけどなあ」という「それさえ」は手強い。』
2010 / 05 / 08 ( Sat )
2つ前の記事で紹介したブログのつづきです。
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-124.html


『「それさえなきゃ良い人なんだけどなあ」という「それさえ」は手強い。』


自分の中の、なにかが、
過剰なのか、足りないのか、それは分からないけど、なにかが、
むにゅっとしたような、そんな感じがしました。

この一文を読んで。










あ。
別に私がアトランティスの偉い人だったとか、そーゆーことじゃないんで。
たとえ過去世でアトランティスに生きてたとしても、ふつーの市民レベルでしょー。

むにゅっとしたってのは、アトランティス云々じゃなくて、もっと普遍的な部分でね。
11 : 46 : 07 | おすすめ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「どうして?」
2010 / 05 / 07 ( Fri )
今月から、息子にヘルパーさんがつきました。
週に2日くらい、夕方の1時間なんですが、お散歩で公園に連れてってもらいます。


いえね、娘の保育園にお迎えに行く時に、必ず息子も一緒に連れてくことになるんですが、
家から徒歩5分くらいのところなのに、途中で座りこんで歩かなくなる息子に対して、娘が怒ったりするんですよ。
娘にしたら一日保育園で頑張ったんで、早く帰りたいんですなぁ。

で、怒って走り出した娘が、(田舎道の裏道なので)たまーに通る自転車にぶつかりそうになりまして…。
肝を冷やしましたわさーーーー。

私の反射神経もかなり鈍いし、大きくなった息子を抱っこして歩くことはもはや不可能だし、ってことで近場だけど車でのお迎えをすることにしたんですが、
すると、娘は「お散歩で帰りたい~。」とゴネるし…。
それに、息子がいるとほんとーに慌ただしくて、娘の様子を教えようとしてくれる保母さんの話もなかなかちゃんと聞いていられないし…。

そこで、ヘルパーを依頼することにしました。
お父ちゃんの勤め先なんですが、要望数に対してヘルパーの人数が少ないので、毎日というわけにはいきませんが、それでもありがたいですよ。
特に今日みたいな、雨ザーザーな金曜日の夕方は。
大きな布団袋を肩から下げて傘さして、傘をさしてる息子と娘をコントロールして車に乗りこませるというのは、非常に難度が高いんですもん。

それに、今日は息子の同級生のお母さんと数分間の立ち話もできたし~~。
娘はその間じーっと傍らで待ってくれてるけど、息子は絶対に無理!だし~~。



というわけで、昨日と今日とヘルパーさんとおでかけしている間に娘をお迎えに行ったんわけですよ。
そしたら、娘ってば、

「おにーちゃんがいなくて、さみしい。」

を連発。
たしかにありがたいことに仲良し兄妹だけど、いたらいたでケンカになるやんか~、とトホホな気分なお母ちゃん。

「おにーちゃんは、ヘルパーさんと本屋に行ったんだよ。」

と教えてあげたら、娘が

「あたしもヘルパーさんと行きたい。」

と言うんですよ。真似したい年頃がずーっと続いてますよ。ええ。
でも、健常児のあなたにはそのサービスは受けられないのよ。
……と言ってももちろん理解できるわけないので、

「おにーちゃんは、ダウン症って病気だから、ヘルパーさんが助けてくれるんだよ。」

と、とりあえず娘に言ってみました。
体質と言っても分からんだろうから、病気という言葉を使いました。
すると、

「どうして、おにーちゃんは病気なの?」

と聞き返されました。
一瞬の間に、いろんな答えが思い浮かびました。
だって、とっても深い問いなので。

んで、とりあえずこの場合は染色体の突然変異が原因って回答が妥当だなー、と思い至ったんですが、そう言ってももちろん理解できるわけないので、

「おにーちゃんは、お母ちゃんのお腹の中にいた時から病気だったんだよ。ずーっとこの病気は治らないんだよ。」

と答えると、娘は神妙な顔つきになってきたので、

「でもさー、おにーちゃんはいつもニコニコしとるよね?だからおにーちゃんは大丈夫だよ~。」

と言ってやると、娘はニコっと笑いました。
まだ小さな娘に息子のダウン症に関わることを説明するのって、やっぱりちょっと難しいなーー、と思いました。
でも、てきとーに誤魔化すわけにもいかないしね。




しかし、子どもの問いは根源的だなー、としみじみしました。
そして、息子は笑顔で帰ってきましたよ。もちろん!
17 : 17 : 27 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
微妙にズレてるというか、微妙にフィットしないというか。
2010 / 05 / 06 ( Thu )
以前、よよよ姫に教えてもらったブログですが、
とても辛口で、さすがにそれはちょっとキツいっすよー、と思うこともちょこちょこあったけど、
なんか最近になって、前よりも「ああ、そうかもね。」って思うことが増えました。

これ
http://marialetter.blog22.fc2.com/blog-entry-123.html
を読んでいても、

「あー、私も天使の絵を額・送料込みで1万円で売らせてもらってるけどなー。」

って、苦笑いしつつ、
でも、なんとなく……心のどこかで、彼女の言葉そのものに対してではなく、その奥の何かに「ああ、そうかもね…。」って感じるんです。




なんだろう。

お金っていう切り口で語られることが多いけど、それだけじゃなく、なにかが微妙に少しズレてる……というか、


いや、多分、自分以外の人への
「何かが少しズレている。何かは分からないし、そのズレはほんの少しのような感じがするけど、それでも何かが少しズレている。」
と感じるものは、その人がズレてるというよりも、そのまま自分自身のズレを意味しているんだと思うんですがね。

以前は感じなかったものを感じるというのは、自分が変化しているのかなんなのか。
私は前に進んでいるのか、後退しているのか、ただその場でくるくる回っているだけなのか、さっぱり分からんのですがね。





でも、あきらかに「重心」が微妙に変わってきているような、そんな感じがするんですよね。
自分の中の「重心」が。


でもでも、それらをハッキリつかめないので、やっぱりよく分からんなー、という感じのまま………。




ま。いいか。
こういうのも。

12 : 44 : 58 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
私は言い訳名人だなぁ。
2010 / 05 / 04 ( Tue )
昨日、TVのチャンネルを何気に変えてみたら、エンジェルズの松井の特集番組がやっていて、
最後の5分くらいだったけど、見ていたら、ヤンキースの元チームメイトたちが、松井ととても褒めてました。

野球人として、だけじゃなくて、人としても。



でね。
どんな時も言い訳しない、ってチームメイトの1人が言ってました。




すごいなー、って思いました。
私は、すぐに自分にも言い訳しちゃうもんなー。

言い訳なんて、探せばいっくらでも言えるものだけど、
他人に言い訳しないってことは、まず自分にも言い訳しないってことだもんね。



反省、反省……。
09 : 06 : 21 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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