【mixiより転記】もうそれは要らない。
2008 / 12 / 23 ( Tue )
【mixiより転記 12月23日】

20歳直前にかかった胃腸風邪から、簡単に言えばいわゆる自律神経失調がヒドくなっていったわけなんですが。



いろんな肉体的苦痛がありまして、その時は耐えるしかないんですけど、なんてゆーかなぁ……。

以前は、自分で言うのもヘンですけど、かーーなーーり辛抱強かったと思うんですよ。
その苦痛に耐えることができたんです。

それでね、その肉体的苦痛そのものもイヤに決まってるんですが、もっとイヤだったのは、「広場恐怖」に陥ってた精神的状態だったんです。

なので、それをなんとかしたい、とヒプノのセラピストさんのところに行き、そして彼女から今もお世話になっている霊能師の先生を紹介してもらい、その先生から五井先生のお祈りを教えていただき……と、なったわけです。

もちろんイヤなものはイヤなんですけど、それでもこの肉体的苦痛があったからこそ、という部分は自分でも認めているわけです。



んでね。
いつからかなぁ……。

息子を産んでからかなぁ……。
いや、娘を産んでからかなぁ……。



数値化はできんのですが、多分ね、その苦痛は以前ほどの大きさの痛みや苦しみではなくなってるんですよ。
それなのに、以前ほど辛抱できんくなってるんです。

苦痛そのものに「イヤっ!」と拒否反応が強く強く出るんです。
痛みやしんどさを感じていること自体に我慢ができなくなって、その「我慢できんっ!」っていう状態が非常に苦しいのです。



「苦痛に耐える回路みたいなものが、使いすぎで擦り切れてきたんかなー?」
なんて、時々うっすらと思ったりもしてましたが、多分違うな、と、昨日ふと思ったんです。
寝る前に。



もうね、ほんとに要らんのですわ。
今までの肉体的苦痛が。
それが道しるべだった時とは、今はもう違うんだ、ってことです。

きっと、今の苦痛は「繰り返しの体験の中で強化されてしまった想念」が創り出している苦痛であって、道しるべでもなんでもないんです。

だから、苦痛に耐えることができなくなって、苦痛に耐えようとすることが苦痛そのものになってるんですね。




「感覚」の変化って、ちゃんと意味があるんですね~~。
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22 : 28 : 06 | 健康とか。 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【mixiより転記】本当の自分
2008 / 12 / 22 ( Mon )
【mixiより転記 12月22日】

さっき、お風呂の中で「お。」って気づいたんですけど。



最初こそ、三次元の私に近い姿でもって、賑やかで元気な女性だったんですが、そのうち「タミエル」という男性の天使が融合してきたかのような姿や性格になってきました。
「上」の私。

おかげさまで、みなさんもそーゆー私を目撃してくれてまして、「たみえる」と読んで認識してくれてるわけですが、それが昨日のパーティーでは余興として「叶恭子」さんに化けてたんですね。

イメトレの成果もあり、ちゃんとお姉様になってたようなんですが、これがですね、すんげー疲れたんですよ。
だから途中で、「もうあかん~。」って感じで、ぽんっとたみえるに戻ったくらい疲れまして。




んで、ですね。
お風呂で気づいたことなんですが、もしかしたら三次元の私達も同じなんじゃないか?って思ったんです。
つまりですね。

本来の自分じゃない「自分」を生きているとしたら、それは余計なエネルギーをものすごく使ってるんじゃないか。

って、思ったんです。


自分は自分を生きている、と思ってるかもしれないですが、それって本当にそうなんでしょうか?

「こうでなくてはならない」という(自分でも気づいていない)思い込みがいっぱいあるんじゃないでしょうか?





少なくとも私はね、まだまだ本当の自分を生きていない気がします。
五井先生のお祈りのおかげでここまで来れたけど、まだまだどんどん「本当の自分」に近づいて行きますよーー。

「たみえお母ちゃんは、日に日に元気で健康で丈夫でニコニコなお母ちゃんになってます。」
「私はどんどん『本当の自分』に近づいています。」

おお。
お念仏が1つ増えましたー。
23 : 41 : 39 | 健康とか。 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【mixiより転記】一陽来復
2008 / 12 / 22 ( Mon )
【mixiより転記 12月21日】

父親が肺ガンで死ぬ1カ月くらい前から、ずーっと
「お父さんは元気になる。まだ死なない。」
と、信じていました。

医学的根拠も何もないけど、でも信じていました。



何か拠り所がありつつ「信じる」というのは簡単です。
でも、何も根拠となるものがない状態で、それでも腹の底から「信じる」ことが大切だ、ということを、あの時にも教えてもらいました。

もちろん、父親の魂が決定することですから、私が信じているから病気が治るというものではないのですが、それでも、そんな状況でも『信じる』ということがどういうことか、を教えられたのです。


結果的には、私が信じていても、父親は死にました。


でも、私は、結果が違っていても、あの学びは大きなものだった、と今でも思っています。

なぜなら、あれは父親の病気回復を信じるという形ではあったんですが、本当に信じたものは、「自分」だったからです。
だから、結果が違っていても、信じたことが間違いだったとは感じなかったばかりか、一種の達成感みたいなものまでをも感じたのです。







私の人生の課題の一つが「信じる」ということだと感じています。
特に「自分を信じる」ということです。
人生のいろんな場面で、「根拠もないのに、そうだと信じられる」ということは何度もありました。
なのに、不安でぐらぐらすることの方が多いのは、人間だから仕方がないと思っていました。


確かにそうなんだけど、でも違うよね。


今、また、私は「自分を信じる」という課題に向き合うことになりました。




たみえお母ちゃんは、どんどん健康になって、どんどん丈夫になって、どんどんニコニコになってます。



と、【腹の底から信じて】、念仏のように唱えます。




一陽来復。
冬至の今日から生まれ変わるのさ。
23 : 39 : 53 | 健康とか。 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【mixiより転記】昨日は寝込んでましたです。
2008 / 12 / 22 ( Mon )
【mixiより転記 12月20日】

Pさまに教えてもらった「念仏」を唱えておりますよ。
お母ちゃん。
どんどん健康になっちゃうぞ。


でも、まぁ、始めたばかりでまだまだこれからなので………えっと、胃腸風邪ひきましたー。
先週、息子とお父ちゃんがかかったのと同じですー。
そんなにヒドいヤツじゃないです。

しかし、お母ちゃんは自律神経失調が加わってしまい、昨日はまるっと寝込んでしまい、お父ちゃんだけでなく、お義母さんにもお世話になりました。
昨日は何も食べられませんでした。
午後からなんとか水分は摂れるようになったけど。

今日はなんとか起きてられますが、まだ1回の食事でお雑炊をお茶碗一杯しか食べられません。
なのにーーー、娘はーーー、「おっぱいくれー。」と容赦なく……

元々痩せてるのに、こうなると体重がガクンと減るのでかなわんです。
しんどいったらありゃしない。
「痩せたいわ~。」と思ってるそこのアナタ
いいですかーーー?
痩せてていいとこなんて、あまりないんですよ。
女性はちょっとぽっちゃりくらいで丁度いいんです。
うんうん。


てことで。
また横になってきます。
これにてドロン。

前の日記のコメント、お返事してなくてゴメンナサイ。

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◆ Pさまからのコメント◆

きゃ~、たみえる~、素晴らしい~!
それはたぶん、体が命令を聞いて構造を組み替えてる証拠。
(たみえるの体って素直なんだね~、もう命令を聞き始めた)
どんなことがあっても続けてね。
「私はどんどん健康になっている」って。
少しでも疑うと、体はそれを敏感に感じ取ってしまうから。
「私は健康だ」というのもだめだよ。
体が、今は「私は健康でない」って思ってるから。
「どんどん健康になっている」という進行形で言わないと。
23 : 38 : 32 | 健康とか。 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【mixiより転記】念仏のように唱えるぞ。
2008 / 12 / 22 ( Mon )
【mixiより転記 12月18日】

頭で分かってはいても、どうしてもソコが弱点になってしまう…なんてこともあるもんでして。

人間だものーーー。


「我即神也」なんだけど、日常生活において、
「今日は体調がいいぜ~~♪」って日の方が圧倒的に少ない私は、どうしてもどうしてもイヤんなったり、悶々としたり、イライラしたりするわけです。
自殺したいわけじゃないけど、あまりに毎日しんどいと生きてるのが面倒になってきたり。
うん。
実はそれくらい辛い時があるんだよね……。
(20歳前まではまぁまぁ普通に元気だったんだけどね。)


なので、先日の芋煮会でも、みうに
「私さー、身体のこと以外、悩みって無いかもー。」
って言っておりました。



で。
今日、我等が「宇宙一のヒプノマン」のPさまの日記に

「私の身体がちょっと弱いのも、それが原因なんでしょうね…(遠い目)…。 」

と、コメントしてしまいました。

すると、Pさまが以下のようなお返事をくれました。

----------------------------
たみえさん、いつもありがとうございます~。

え、たみえさん、からだ弱いの~?
だからあんな繊細な絵が描けるんだ~、素晴らしいね。

でも、体丈夫になりたい?
だったら、まず、今の自分の体に感謝できることをいっぱい探して、
それにありがとうっていうの。
ひょっとして、ふだん弱い体を非難していないかしら?

知ってるかも知れないけど、体は心の命令を聞くロボットのようなものだから、ふだんから「私の体は弱い」と思ったり、言ったりしてると体は「そうなんだ、私は弱いんだ」といってその命令通りの体になります。
だから、ふだん思ったり、言ったりしていることに注意していないといけません。

私が大好きなたみえさんには、この言葉を贈ります。
フランスのエミール・クーエって人の魔法の言葉
「私は日に日にどんどん健康になっている」
この言葉を毎日念仏のように唱えていると、体はこの新しい命令を聞きます。
----------------------------

先日の芋煮会でも、和尚さんが親身になってくれて、とても嬉しかったんですが、今日のPさまのお返事も泣きそうなくらい嬉しかったです。

なんだろうね。
心に届くって、こーゆーことなんすね。


和尚さんもPさまも、ほんとにありがとうです。
23 : 35 : 58 | 健康とか。 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
【mixiより転記】永遠は刹那。刹那は永遠。
2008 / 12 / 15 ( Mon )
【mixiより転記 12月1日】

えっとですね。





子供の頃から「時間」ってなんだろう?って不思議で仕方がなかったんですね。

で、ある時(まだ学生だった頃)、

「永遠は刹那。刹那は永遠。」

って、ふいに思ったんですよ。
でも、それって、分かるようで分からない言葉でね。




そして、ゆうべ気がついたことなんですが。



よく、大本の神様の次元では「時間」が無いって言いますよね。
どこの次元から時間が生まれてくるものなのか分かりませんが、とりあえずこの三次元では、過去・現在・未来と時間は「過ぎていく」というか「流れていく」ものであって、逆行しませんね。多分。

そんな世界観の中で生きてきて、確かにこの三次元ではそうだよな、って当たり前に思って生きてきたわけです。

「今」にフォーカスして生きることが大切、といろんな人が異口同音に言ってますけど、それもそんな世界観の中での理解でしかありませんでした。私の場合。




でもね。

「時間の無い」神様のところから私達を見てみたら。



常に「今この瞬間」しか有り得ない。
「刹那」がいっぱいいっぱい存在している。
ああ、ほんとだ。
「刹那」は「永遠」だし、「永遠」は「刹那」なんだ。



って、「は。」っと気がついたんです。
ということは……。


私達は、「今」しか生きられないってことです。

そしてそれは、「今」の私の意識(意図)次第で変わるのは「未来」だけではなくて、「過去」も変わっていくってことです。
つまり、「【世界】が変わる」ということです。
なぜなら、私達の本質は「神」だからです。
神の目線で見て、神の目線で意図するということは、そういうことになります。
(ああ、「我即神也」って、ほんとーに究極の真理ですねぇ。)


もちろん「世界が変わる」というのは「捉え方が変わる」っていう意味じゃなく、本当に変わるということです。
本当に、です。

カルマを浄化していく、って、そういう意味でもあるんですね。


「この世界はどんどん進化していく」というフレーズは、「時間ありき」の表現です。
時間の無い神様にとって、それはどういう意味合いになるんだろう?って疑問に感じていたのですが、ちょっとだけ垣間見たような気がしました。
ほんとにちょっとだけだけど。

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この日記を書いた後に、こんな記事を発見しました。
22 : 44 : 43 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【mixiより転記】昨日の日記のコメント返しを書く前に。
2008 / 12 / 05 ( Fri )
【mixiより転記 12月4日】

昨日の日記にいろんな反応があり、少々驚いちゃいました。
コメントのみならず、ご自身の日記に書いてくれたり、メッセージをくれたり、携帯メールをくれたり……と、ありがたいことであります。
本当にありがとうございます。

コメントのお返事を書く前に、こちらに書かせてもらいます。



聖さんもアカデメイアのトピで書かれてましたけど、それぞれの人が昨日の私の日記をそれぞれの内面の【どこか】に反射させている、というのが面白いなぁ、ととてもとても興味深くコメント等を読ませてもらいました。


正直に言いますと、私が「お」と思ったことを、私の昨日の日記を通じて、みんながみんな【そのまんま正確に】読み取り感じ取ってくれているとは思えません。

でもね、それでいいんだと思うんです。
もちろん、私の表現力が拙いということも一因ですが、そもそも【そのまんま正確に】感じ取ってもらおうというのが思い上がりってなもんなんですよね。
言葉を使うということは、そーゆーことなんですから。

たとえば、昨日の日記でキーワードになっている「物語」や「神話」って単語にしても、受け取る人によってさまざまな意味になります。
そうなると「私の神話」という言葉の意味することが何であるのか、見当さえつかない人だっていると思います。

けれど、ある文章について、分かる分からない、伝わる伝わらないということの重要性というものは、実はそんなに大きなウェイトを占めてはいなくて、


その文章(物語)を読んで、自分の中の何がどのように反応したか


ってところが大きなポイントになるんだなぁ、とあらためて教えられました。


そういう意味では、昨日の私の日記は、「でかした。よくやった。はなまるをあげよう。」っていう文章(物語)だったわけです。
なぜなら、みんながみんな同じような【内面の場所】に反射させていたのではなく、それぞれがそれぞれ特有の場所に反射させていたからです。

そうなんです。
昨日の日記も、「物語」なのです。
そして、それぞれがその「物語」に触れて、それぞれの「物語」を語り始めた、という現象だったわけです。


アカデメイアやクリロズで重ねられるであろう経験は、共有することもできるけれど、それぞれが語る物語は「たったひとつの神話」でしか有り得ない、というのは、昨日のコメント等ですでに証明済みなわけです。


あーーー。
ほんとにコメント等、ありがとうございました。
22 : 53 : 29 | 「上」関係 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【mixiより転記】クリロズへ行く気にならなかった理由
2008 / 12 / 05 ( Fri )
【mixiより転記 12月3日】

同級生も次々とチャレンジしておるわけですが……。



実はですね。


クリロズがグランドオープンになってから特に、なんですが、その少し前からもどーにもモヤモヤして、とてもじゃないけどクリロズに行ってみる気になりませんでした。

アカデメイアも、正面玄関で圧力がかかるのが不思議で、そこだけはクリアしておきたい、という気持があったので続けて挑戦してみましたが、3度目の正直で正面玄関から入れたのに、そこからどこかに行こうという気になりませんでした。


なんでかなぁ…、とあれこれ考えてみても、いまいちピンときませんでした。


そしたら、今日、ふと思いました。


「私の『物語』じゃないからだ。」


って。

じぇいど♪さんや聖さんたちが見せてくれる世界に、参加させてもらっているんだけど、そこに参加させてもらっているからと言って、その「物語」に自分が入り込んじゃアカン、という自分の奥の方からのアラームだったんです。

じぇいど♪さんたちが提示してくれている世界を「夢物語」だと言っているわけではありません。
宇宙ステーションにみんなで行くことを集団催眠みたいに思っている人もいるだろうけど、もちろん私はそーゆー類のものだと思っているわけでもありません。
私は、ちゃんとそれは「在る」と感じています。


けれど、提示してもらった世界に囚われてしまってはいけない、と私の奥の方からクギを刺されたような気がしたのです。

つまり。
じぇいど♪さんの世界で、じぇいど♪さんが紡ぐ「物語」と手を繋がせてもらうことによって、私の世界が広がり、私の物語が広く深くなることは素晴らしいことだけれど、じぇいど♪さんの「物語」にただ入り込むだけにならないように、ということなんですね。


宇宙ステーションに行くことばかりに夢中になって、三次元の世界のことをおろそかにしないように、ってレベルの話じゃないです。
そんなのは当たり前なんでね。

「境界」って意味でもないです。

他の言葉が見つからないんで、やはり「物語」という言い方になっちゃうんですが、「他人の物語に生きるな」ってことなんです。

生きるということは、ただひとつの物語を紡ぐことなんだと思うんです。
ただひとつの、私だけの、あなただけの「物語」なのだから、それは「神話」なんですね。
(そして、その「神話」が、誰かの「神話」と手を繋いで、どんどん手を繋いで……神様が語る大いなる物語となっているのが宇宙の姿なんだと思うんです。)



というわけで。
私は、『私の神話』を紡いでいるのだ、ということを、しっかり再認識してからじゃないと、次のステップ(アカデメイアやクリロズでいろいろ体験を重ねる)に行っちゃいけなかった、というわけだったようです。
22 : 51 : 28 | 「上」関係 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
【mixiより転記】息子とお散歩
2008 / 12 / 01 ( Mon )
【mixiより転記 11月30日】

5歳の子と1歳10カ月の子。
2人の子供と一緒にお母さんがスーパーでお買い物。


なーんてのは、普通の光景だと思うんですが。


ウチでは無理なのです。
何故ならば、ダウン症の息子くんは突然走り出したり、いらんこといっぱいしたり……なので、常にマンツーマン・ディフェンスをしなければならないからです。

もちろん、お散歩もお母ちゃん1人で2人を連れてというのは無理です。


そうなると、息子が保育園に行っている時間に娘と2人でお散歩はできますが、『息子とお母ちゃんだけ』という組み合わせでお散歩というのはほとんど難しくなりました。
お父ちゃんと娘がお留守番するくらいなら、4人でお散歩に行っちゃうんで。



今日の午後、娘がお昼寝した時に、お父ちゃんもウトウトお昼寝をしていました。

そこで、本当に久々に息子と2人だけでお散歩に出かけました。

30分ばかりのお散歩でしたが、息子はとても嬉しそうでした。
途中、たんぽぽの花をつんであげたら、妹に持って帰ると言い出しました。
「たんぽぽ。たんぽぽ。」と何度も言っている姿に、お母ちゃんはきゅーんとなっておりました。




日常の、普通の、それでいてたまらなく幸せな感覚を堪能できた時間でありました。
16 : 17 : 41 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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