願いと祈りの違いを娘に話した、というお話。
2017 / 02 / 15 ( Wed )


今日まで学校に行けない息子は、妖怪ウォッチのメダルを出し入れしたり、タブレットで「ぐるぐるマップ」(←グーグルマップのこと)を見たり、友達の名前をたくさん書いたりして遊んでおります。


しかし、おとーちゃんはお布団の中です。
実は、日曜日の午後からダルいと言い出し、月曜日に発熱しまして……。
インフルエンザA型でした。
多分、息子を休日夜間診療所に連れてってくれた時に罹ったんだと思います。
待合室に50人くらいいて、そのうち20人くらいがインフルエンザっぽいなー…と思ったそうですから、ちょっと喉が弱っていたおとーちゃんが罹ってもおかしくなかったと思います…。

おとーちゃんも熱は火曜日の朝から引いてるんですが、まだちょっとダルいみたいです。
お仕事をいろいろ抱えてて大変そうなので、与えられた休息と捉えてゆっくり休んでくれたらいいかな、と思います。






というわけで。
NOインフルエンザな私と娘が昨日は一緒にお風呂に入ったのですが、
娘が突然質問してきました。

「世界が平和であるように、と思ってることって、口先だけのことなの?」

学校で何かあったのかなー?と思いつつ、その疑問は横に置いておいて、湯船につかりながら娘の質問に答えていきました。



「もちろん、娘ちゃんが世界が平和であるようにと思って、何か行動したとしても、世界は平和にならんよね?」

「うん。」

「娘ちゃんがトランプさんみたいにアメリカ大統領になったとしても、それは簡単なことやないのは分かる?」

「うん。」

「ってことは、誰が平和を願って行動したとしても、世界はそうそう変わるもんやないのは分かるやんね?
でも、『自分1人が選挙で投票したって日本は変わらない。』と思ってたくさんの人が投票せーへんかったら、変わるもんも変わらんやろ?」

「うん。」

「だから、どうせ無駄だからって何も期待せんくて何もしないというのは違うってのも分かるやろ?」

「分かる。」

「そういう意味では、小学生の娘ちゃんであっても、世界を変える直接的な力が無いから無駄やと世界の平和を望まないというのは良いことやないってのは分かるよね?」

「うん。」

「でね。それとはまた別の意味でね、『祈り』と『願い』は違うんよ。」

「違うの?」

「違うんよ~。これが。願いは…娘ちゃんは立春にお稲荷さんの奥の院に行ったやろ?あそこでおじさんに『ダキニ天さんにお願いしてくださいね。』って言われたやろ?それで『ソロバンとトランペットが上手になりますように。』とお願いしたやろ?それはお願いなんよ。だから時間が経つとお願い事はどんどん変わっていくんよ。娘ちゃんが中3やったらきっと『第一志望の高校に合格しますように。』ってお願いするやろうし。」

「ああ、そうやね~~~。」

「でもね、お祈りは違うんよ。何歳になろうがどんなことが起ころうが、同じことを祈り続けるやろ?自分がお金持ちになったら世界が平和にならんでもいいや~、ってならんやろ?」

「ならんならん。」

「それにね、お祈りはね、あれは自分でしてるようで、自分でしてるんやないんよ。」

「どゆこと?」

「人間はみんな大元の神様から光っちゅーか、命をね、わけわけしてもらって生まれてきてるからね、みんな大元の神様とほそーーーい糸で繋がってるんよ。お釈迦様とかイエス様とかは、その大元の神様とずどーんと繋がったから糸がちょーーー太くて、体そのまんまの太さやけど、娘ちゃんやおかーさんはほっそーーーい糸くらいなんよ。あ、○○先生(←豊橋の霊能師さん)やと親指くらいの太さかもしれんね~。とにかく、普通の人はほっそーーーい糸で繋がってるんよ。でもね、大元の神様と自分の間に黒い厚い雲がどんよりかかってるとね、糸が繋がってることすら分からんくなってしまうんよ。」

「あー…。クラスメイトにそういう感じの子おる…。神様なんておらんって言う。」

「そうなると、大元の神様からの光がちゃんと届かんのよ。でも娘ちゃんはほっそーい糸やけど、ちゃんと届いてるから、世界が平和になりますように、って本気で思えるんよ。世界が平和になるようにって本気で思ってるのは、実は娘ちゃん自身やなくて神様からの光がそう思わせてんのよ。それが祈りなんよ。」

「あーーー!そうなんやーーー!分かった!すごい分かった!」





と、
娘は納得してくれました。
どうやら、学校で読んだ本の中に「そんなの口先だけだ。」という話があったようで、それで自分もそうなのかな?と疑問に思ったとのことでした。



ちなみに。
私は(入信はしてませんけど)五井先生の世界平和の祈りをずーーーーっと続けておるのですが、
五井先生も、それを教えてくれた豊橋の先生も、それこそ最初は口先だけでいいから続けてね~、と言ってまして、
それは娘に説明したことの「逆」のことが起こるからなんです。
口先だけで祈り言を言い続けると、それが少しずつ少しずつ大元の神様からの光を通してくれるようになって、いつしか口先だけの祈り言から「祈り」になっていくんです。
それはどんな宗教の祈り言でもそうなんですよね。
たまたま私は五井先生とご縁があったというだけで。
ですから、信仰というのは、「どんな状況であってもその祈り言をずーーーーっと言い続けることができるしぶとさ」とも言えるような気がします。


…とは言っても、これはやっぱり古いやり方なんでしょうね。
スピ的にはいろんなメソッドがあるようですし。
昔なら死ぬほどの修行でもせん限り知り得なかったことを本やネットで知ることもできますしね。(←あくまで「情報」という意味で、ですけどね。)

でも私は古いやり方が好きなんですよねぇぇぇぇぇ♪
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14 : 48 : 14 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
椎茸を買いに行ったら、思いがけずヒーリングセションを受けることになったお話(その2)
2016 / 11 / 25 ( Fri )
TOMOKOさんから魔法の絨毯が届きました♪



星のように見えますけど、絵で描く星は五角形が多いですよねぇ…。
でもやっぱり星に見えるんですよねぇ…。
最近気づいたんですけど、ICとマイナーな小惑星を1つ入れると六角形(六芒星)になるんですよねぇ。私のホロスコープが。
なーんとなくそれに見えて仕方がないので、ちょっとドキドキしてしまいました……。
やはり「箱入り太陽」を箱から出さないと魔法の絨毯に乗って遠くに行けないのかしら~????


*+*+*+*+*+*+*+*+*


さてさて。
昨日の続きです。

朝市に椎茸を買いに行ったら、ヒーラーさんにリーディングしてもらうことになった、という話でしたが、
……ここから少々怪しくなります。

キネシオロジーを使って、私の魂に対してリーディングをしてもいいかの許可を得ようとしたところ、
どうにもおかしな動きになったのです。私の腕が。
シロウトの私でも「これ、なんかおかしくない?」と思う動きだったのです。
もちろんヒーラーさんも「あれ…?」と何度もやり直すのですが、やはりどうにも変な感じなのです。

『あー。きっとリーディングの許可が降りないんだー。私の魂が拒否してるんかなー?』
と、私は呑気に考えてたのですが、ヒーラーさんは難しい顔をしながら言いました。
「邪魔が入りましたねぇ…。」

するとヒーラーさんは立ち上がり、ぱっぱっと何かをし始めました。
九字を切るみたいな、そんな感じのヤツでした。何かは分かりませんけど。

すると、また筋反射が正常に戻ってきました。
「……邪魔って何ですか?」と、恐る恐る訊いてみると、ヒーラーさんは笑顔でかるーーーくとんでもないことを言いました。
「あなたが本当の自分に目覚めちゃうと困る存在たちが邪魔してきましたね~。それだけの人なんですよ~。」

なんですか?それ。
ファンタジーアニメか何かですか???


と、目が点になりました。
なりますよね?
そんなこと言われたら、目が点になりますよね???

と、内心あわわわわわ~な私。
「……でも、それって、占星術をやってる友人に最近『もうそろそろちゃんと表に出て太陽を生きなさい。』ってハッパかけてもらってて、えー?それこわいーー、って思ってる自分もまだ居るのが分かってるんですけど、そのせいで無意識に変な筋反射になってたんじゃないんですかね……?」
と、おずおずと訊いてみたのですが、
「そうじゃないですよ~。そういうのじゃないですよ~。明らかに邪魔が入ったんですよ~。」とこれまた笑顔でかるーく言われて、あわわわわわわわわわ~、な私。

実は、

本当の自分って、この自分以外にいるわけないやん?

という自分が居るのです。
スピリチュアルな世界の『独特な表現』に対して、どこか穿った見方をしている疑い深い自分が居るのです。
すべては方便だというのも分かっているつもりですし、非科学的なスピリチュアルな世界を否定してるわけではなくて、ちゃんと「そういうものだ」とある程度は分かっているつもりなんです。
なので、リーディングやヒーリングをしてもらう時に、信じてないのに信じてるフリをしてる…というわけではなく、しっかり向き合ってるんです。
けれど、同時に穿った見方をする疑い深い自分もいて、しっかりチェック機能が作動するのです。

イヤなんですよ。
「今のこんな自分は本当の自分なんかじゃない。」という想いを秘めてて、それがあるから「ほんとうの貴方はすごい人なんです。」という言葉に飛びついてしまう……というような在り方が。

みんなすごいのーー。
みんな神様の分霊なんだから、(自分を葉っぱ1枚とすると)本体(の樹そのもの)は誰でもすごいのーー。
その本体の光が肉体の自分にもさーーっと届いて、ぱーーーっと放てるような、そんな風通しのいい自分にさえなれれば、誰でもすごいのーー。
だから、本当の自分ってこの自分以外にいないのーーー。


と、常々思ってるのです。

そんなわけで、
あわわわわ~となりつつも、『まぁ、そういう解釈もアリだよね。』と、数秒で自分の中で折り合いをつけて、本格的にリーディングをしてもらったのでした。


その時に、前の日記で書いたように、ご先祖様のご供養はほぼほぼクリアになってるし、現世の私の心の傷も癒すべきものが見当たらない、ということで、過去世で受けてしまった魂の傷についてリーディングをしてもらいました。

すると、どうやら隠れキリシタンの時の大きな恐怖心が魂に刻まれている、とのことでした。
キリシタンであることは決してバレてはいけないわけですから、恐怖心の大きさもさることながら、目立ってはいけない隠れていなければいけない、という強迫観念もさぞ強かったのだと思います。
そりゃそんな傷が残ってたら、太陽を箱に入れて鍵かけますわ。

いくつかの過去世を思い出してはいるのですが、隠れキリシタンだった時のことはちっとも思い出せません。今のところ。
しかし、私は魂というのはたくさんのつぶつぶで構成されてると思っているので、そんな傷を持った『つぶ』があってもおかしくはないと思いますし、
弟1号が様々なことを考慮してみると、私たちの父方の先祖はもしかしたら隠れキリシタンだったかもしれない、と以前話してくれたことがあったので、そういうご縁があってもおかしくはないだろうなー、と思うのです。

そして、隠れキリシタンだったかどうかを証明することはできませんが、もう今は無駄になってしまった恐怖心や強迫観念は手放した方が楽になるのは間違いないでしょうから、2日後に別の場所でヒーリングセションをしてもらうことにしました。







するとですね。
当日の朝、掃除をしながら、
「そいえば、リーディングの時に邪魔が入ったって言われたけど、だったら今日も邪魔が入るんじゃね?」
と、ふとそんなことを思ってしまったんです。

……そしたら、その後すぐに電話がかかってきました。
ダブルブッキングしていたので、申し訳ないけど時間を変えて欲しい、と言われました。

これはイロイロよろしくないな、と思いました。
なので、電話で会話をしながら、心の中で「邪魔が入る」という想念をごみ箱に捨てるイメージをしました。
そんなイメージをしつつ、変更する時間の相談をしました。
すると、ちゃんと無事にその時間に到着できました。

後から訊いてみたところ、ダブルブッキングなんて初めてのことだったそうです。
やっぱりねーーーーーーーー。
私が変なことをふと思っちゃったからごめんなさいねーーーーーー。





ヒーリングは小一時間ほどやってもらいました。
すぐに変性意識状態になったので、なんやかんやとイメージが見えました。
ずーっと宇宙と肉体の自分を行ったり来たり…な感じでしたが、
突然、丹田あたりに向かって上から鋭いぐるぐる渦巻きがきゅーーーっと降下して入ってきて、もうどうにもならない!降参するしかない!という絶望にも似た感覚になり、
「あー、わかったわかった!もうその螺旋の先端のところ、ふかーーーーいところで自分の人生を受け入れるから!」と心の中で叫びました。
すると、いきなり宇宙のイメージに切り替わり、目の前にどーん!と大日如来が現れたので、「あー…。はい。」ってなりました。
なお、この時の大日如来は大日如来そのものではなく、標識とかアイコンみたいなものだと感じました。

と、こんなイメージを見ていたら、ヒーラーさんに「はい。終了ですよ。」と声をかけられました。
最後の最後であのようなイメージを観ていたのでした。




というのが先週の出来事でした。
椎茸はもちろん美味しくいただきました♪

14 : 37 : 03 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
椎茸を買いに行ったら、思いがけずヒーリングセションを受けることになったお話(その1)
2016 / 11 / 24 ( Thu )
関東は初雪だそうですね。
こちらは雨ですが、寒いので初ストーブです。

あ、今シーズン初セーターも着ました。



「長い秋だなー。」という感覚だった先週。
最近は買い物せずにまったりさせてもらうことも多い自然食のお店の朝市に行きました。
肉厚ぷりぷりの椎茸が目的でした。

が。

その朝市はなんでもアリでして、なんとヒーリングのブースも出てまして、
前回の朝市の時に店主さんと「じゃあ次回はヒーリングしてもらっちゃおっかなー♪」なんて冗談で話してたんですけど、
店主さんが私のことをそのヒーラーさんに話しておいてくれたとのことだったので、じゃあせっかくなので、と、淹れたてコーヒー片手にブースにお邪魔してみたのでした。
まず、どんな方なのか知りたくて、どうしてヒーラーになったのかと質問しました。

するとですね。
ご縁というのは不思議なもので、ヒーラーさんが藁をも掴む思いで尋ねたのが、私がずーっとお世話になってる霊能師さんだったんです。
彼はその1回しか尋ねていないそうなのですが、そこから今の道を進み出したそうです。
その後何人かの先生に師事し、さまざまな経験をされたことをかいつまんで話してくれました。


と、ヒーラーさんのお話を聞いた後に、リーディングをしてもらいました。
キネシオロジーを使うリーデングなので、準備運動をしてからリーディングに入りました。


するとですね。
ありがたいことに、私のご先祖様の問題も旦那さんのご先祖様の問題も私自身の心の問題もほぼほぼクリアになってる、という結果だったのです。
これはほんとーーーーに嬉しかったです。
豊橋の先生のところに通い始めた時は、行く度に浮かばれていないご先祖様が次々と明らかになりまして、ご供養のために紹介してもらったお寺に何度も通いましたし、
ある時期からは、そのご供養を自宅でもできるようになりまして、その頃からはオカンが実家でご供養をしてくれるようになりました。
そして先々月、ようやく気がかりだった母方のご先祖様の永代供養をオカンがとあるお寺さんに頼んでくれまして、これでもうかなりスッキリしたんじゃないかなー?と感じていました。
旦那さんのところは、本家の方が正直まだまだ…だと感じていますが、分家の我々では何もできないですし、豊橋の先生も「分家だから自分たちのところだけしっかりやっていればいいよ。」と言ってもらったので、それはそれでOKだと思っておりました。

先生のところに通い始めて20年近くになります。
先々月にずっと気がかりだったご先祖様のこともスッキリしたタイミングでのリーディングだったので、ドキドキ半分ではありましたが、
「すごいですね~。ちゃんとご供養されたんですね~。」
とヒーラーさんが感心してくださったのを見て、心から嬉しくなりました。

今生のこの「私」の心の傷というのも、どうやら私は自力で修復していたようです。
まーーー、もう2年もすれば50歳になりますからね。
心の傷が修復できていないと『かわいいおばあちゃん』(←人生の目標)になれないので、中年期までに自己修復力が向上していたのは有り難いことだと思っています。

や。
これは、ラッキーだったんだと思います。
おそらく私は自己修復が不可能なほどの心の傷を受けていなかったのでしょう。
死ぬ病気ではないけれどしょっちゅー寝込んで、やりたいことを諦めることが当たり前になっていた半生ではありますが、
自己修復が不可能なほど心に大きな傷を負うような人間関係や事象が無かったというのは、私のケースでは、人生で表現されるべき「負」(←カルマとかねー。)の多くを健康問題で表現してるんじゃないか、と思うことがよくあるのです。

つまり、私のこの人生においては、心に修復不可能なほとのダメージを受けて、それを修復することに大きなエネルギーを割いている余裕が無い、ということなんだろうな、と思うのです。
ただ単純にそういうことなんだと感じます。



と、そんなわけで。
私と旦那さんのご先祖様と、私の心には癒すべき問題は無かった、ということでした。

が。

私の魂には、癒すべき問題があったのでした。



(つづく)
10 : 28 : 43 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
緻密に計算されてる
2016 / 11 / 18 ( Fri )




お昼は日溜まりでまったり昼寝なお猫たちであります。




実は今日は、急遽とある方のセションを受けてきたんですが、
それについては、そのうち書けたらざっくり書くとしまして、
とにかくですね、受けてきてですね、
あらためて「あー。」と思ったんです。

私は、「自分は何者であるか。」ということに、あまり興味が無いなー、と。

高校生の時に、思春期らしく自分の内面と向き合うことが多々あったわけですが、
ある時突然に「私って、健全だ。」と、まるで何かの啓示のように強く思ったことがありました。
その時にその意味するところは実はよく分からなくて、何が健全なのかは最近になってようやく分かってきたのですが、
その健全さのおかげで「自分が何者であるか。」ということに興味を示すことがあまり無かったのだと思います。
「私」という存在そのものに対しての疑いが微塵も無かったからです。(← これは「自分に自信がある」というのとは違います。)


でも、私は成人してから身体がしんどくなることが多くなったために、それをどうにかしたかったのです。
医者に診てもらっても良くならないことから、「何故このようになっているのか」の「仕組み」を知らねばならなくなったのです。
それらを根本的に解消したかったのです。
すると、それが自動的に霊的な知識を得ていく推進力となっていったのでした。


表層意識の、身体のしんどさに辟易している「私」からすると、「そんなん、かなわんわ~。」ってなもんですが、
それでも、「無駄なことは無いんやなぁ~……。てか、緻密に計算されとるんやなぁ~……。」と、今までよりももう少し深いところで感じ入ったのです。
しみじみしてしまいました。
21 : 43 : 22 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
やむにやまれぬ『好き』が湧きあがってしまった理由
2016 / 10 / 28 ( Fri )
おれは好きや

ここ数週間におよぶアレコレとその内観について、やっとまとめるタイミングになったみたいなので、まとめました。
若干長いです。
良かったら読んでみてください。


*****


私は20年以上前に占星術の本とソフトを買って、占星術の基本の基本の基本を学んだ程度なので、
ちゃんとした先生に師事して学んだ経験のある月子さんのようにはホロスコープを解読することは全くもってできませんが、
彼女の説明を聞いて「なるほど。」と理解することができるくらいの基本知識はなんとかあります。

が。
やはりそこはシロウトが本を読んで学んだ程度なので、とある占星術に特化したサイトを知った時にも「敷居が高いなー。」と思い、ずーっとアクセスをしていませんでした。

それがですね、何かを検索していてたまたま引っかかって、そのサイトだと気づかずに読んだのがキッカケで、ちょいちょいと読むようになりました。
いろいろ考えさせてもらっとります。

そのサイトの中に、男性におけるある惑星とある惑星のアスペクト(意味のある角度)について書かれているのを読みまして、
もしかして……と、おとーちゃんのホロスコープを確認したところ、それが在ったんです。
それはパートナーの女性にとってはマイナスに作用すると言えばそうなんですが、
でもですね、それはそうなんでしょうけど、その作用自体のことよりも、『薄々そうなんじゃないか?と思ってたことが、そうだよと言われた』ことに、どこか「やっぱりかー。」と納得できたことの方が大きかったのです。

別におとーちゃんが意識的にやってることじゃないし、
振り返った時に観える人生というのは(フラットに捉えて)「運命」でしかないと私は思っていまして、私とおとーちゃんが夫婦になって息子と娘を授かったというのは、すでに私の中では「運命」となっておりますので、
「その惑星と惑星のアスペクトに示されるような我々夫婦間のエネルギーの流れというのは、運命でしかない」と受け止めております。
その上で、私がどう意識したらいいのか、を考えていけばいいのかな、と思ったのです。


と、そんなことを月子さんに報告したところ、さらにいろいろ分析してくれまして、
その流れで、私が今まで考えもしなかったことを指摘してくれました。

ホロスコープにおいて私の月は、海王星とも冥王星ともハードアスペクトを形成していますが、逆に太陽は海王星とも冥王星ともソフトアスペクトを形成しております。(さらに言えばキロンともソフトアスペクトを取ってます。)
しかし、そんな太陽を私は旦那さんに預け続けていて、私自身の太陽としては活かしていなくて、私自身は月としてしか生きていない、という指摘でした。

これは、先に書いたことも大きく影響してなるべくしてなっていること、まさに「運命」だと思いますし、
私が太陽をおとーちゃんに預けて、嫁と母という「月そのもの」として生きてること自体に問題があるわけではありません。
実際に、我が家に何度も遊びに来てくれていて、我が家のことをよく知っている月子さんも、私が月をフル稼働して生きていることで、我が家のバランスが上手に取れていることを有り難いことに高く評価してくれています。


しかし、です。
私の太陽は、その意味合いとしては、めっちゃざっくり言えば「仕事バリバリすることで自己実現を目指す太陽」なのです。
それを、海王星も冥王星もバックアップしてるよ、という程度にしか思っていなかったのですが、
月子さん曰く、
『ソフトアスペクトだらけの太陽で、箱入り太陽』なのだそうです。
資質としては仕事バリバリなのに、おとーちゃんに預けてる上に箱入りの太陽ですから、使えてない度がハンパない太陽ということになります。

それを指摘されて、ぐうの音も出ませんでした。ぐう。

月子さんによると、ソフトアスペクトは意識しづらく、ハードアスペクトの方が意識しやすいのだそうです。
困難さを伴う方が意識しやすいというわけですね。
確かに私は自分の水瓶座の月の方が山羊座の太陽より何倍も意識しやすいですし、自分らしさを月に感じることの方がうんと多いのです。
海王星と冥王星のハードアスペクトで意識せざるを得ない月をフル稼働して10年以上ずーっと生きてきたために、太陽のことをすっかり忘れてしまっていたような、そんな状態にある、ということなんですね。
さらに、私の場合はココに書いたように、14歳で夢を諦めてから夢らしい夢を抱くことができなかった、というのも大きいのです。
太陽を使う時の目標がどうにも定まらなかった、ということでもあるからです。
月子さんとのやりとりを通して、やはりどうしてもここに行き着くのでした。

あ。
ちなみに、占星術における太陽の意味についてイマイチ分からない方はコレとかコレとかどうぞ。
ざっくりしてますがー。
……それに、さっきから海王星と冥王星のアスペクトが~ってサラっと書いてますけど、これがなっかなかの案件だったりするんですけどねぇぇぇぇぇぇぇ。



や、もちろんですね、使えてない太陽をこれから使うのか、このままで行くのか、は、私次第なので、月子さんはとやかく言いません。
ただ彼女は占星術の智慧を使って私が気づいていなかった状態を教えてくれた、だけです。
そして、もしも月だけフル稼働という状態ではなく、(子供たちの成長につれて)これから太陽も使いたいと思うのならば、まずはこうしたら?とアドバイスをくれました。

そのアドバイスに従って、太陽や冥王星の度数のサビアンを何度も読んでおりました。
しかし、頭ではなんとなく分かっても、ちっともお腹に落ちてきません。
夢を諦めた時に傷ついたであろう「14歳の私」にアクセスしてみようとしても、どうしても感覚が散漫になり拒まれ続けましたし。


そうこうしているうちに、ひょんなことから現在住んでいる土地の由来を知ることとなりました。
思いがけず、それには持統天皇が関係しておりました。

この流れで持統天皇です。
私からすると持統天皇は「自身の太陽をバリバリに使っていた女性」として映ります。
太陽を使うということがテーマとして浮上している時に、こういうシンクロって起こるものなんだよなぁ~、とどこか他人事のように感心しつつ、「奥さん奥さん、ちょっと聞いておくれよ~。持統天皇が~、持統天皇がぁぁ~…。」と、じぇいど♪さんに現状を報告しました。




すると、何往復かのやりとりの後、じぇいど♪さんが実に興味深いことを教えてくれました。

私が以前、このような記事を書きましたが、この「カラフルな波」と「つぶつぶ」の寄せ集め、というのがミソだと言うのです。

とりあえず、「つぶつぶ」として簡略化して考えると、
今のこの肉体でのこの生で、何らかのブループリントを遂行していく(生きていく)ためには、
大小様々な「つぶつぶ」が必要となるわけです。
誰かとの巡り合わせの縁や、何かの資質・才能を備えるために、です。

それを、「魂の構成要素」と呼ぶこともできるでしょうし、守護神霊の霊団と呼ぶこともできるでしょうし、前世やご先祖と呼ぶこともできるでしょうし、宿命と呼ぶことも、生まれた時のホロスコープと呼ぶことも、親につけてもらった名前と呼ぶこともできるでしょうし……まぁ、そこらへんは切り口によって変わるものなんでしょう。

それで、です。
「大小様々なつぶつぶ」を寄せ集めて1つの「個」として機能するようになると、その「つぶつぶ」の1つ1つの違いがその人の生まれ持っての性格や得意不得意などの「個性」ということになるのだそうですが、
寄せ集めの1つの「個」として機能させるための配慮をしても、やむにやまれぬ内側から湧き上がる『好き』というのは、完全に処理することができないのだそうです。

「やむにやまれぬ『好き』が内側から湧き上がるのって、いいことじゃない?』

……と、思う方もいらっしゃるでしょうが、
それが今生のブループリントにおいて必要不可欠なものだったら、もちろん良いことに決まってますが、
今生においてメインで遂行することにおいてそれが必要ではないケースも割と頻繁に起こるのだそうです。
つまり、その処理しきれなかったやむにやまれぬ『好き』に翻弄されてしまうこともちょいちょい起こることなのだそうです。


私が、7歳の時に子供用百科事典でプレアデス星団やアンドロメダ星雲の写真を見て、魂を掴まれてしまったのも、この「処理しきれなかったもの」の働きだったのか…。
そして、私みたいな事例は、そこそこ頻繁に起こることなのか…。


頭で理解しただけでも、何か憑き物の(ほんの)一部が落ちたような、そんな感覚になりました。
しかし、それだけでは足りないと、じぇいど♪さんは続けて教えてくれました。
14歳の私にアクセスできないというのなら、『夢を叶えて科学者になっている自分』にアクセスしてみろ、と言うのです。

平行世界の自分…というのか、何度目かのやり直しの自分…というのか、とにかくそんな自分にアクセスしてみる、という発想は全く無かったので驚きましたし、これがなかなか『自分が整う』に至らなくて数日間悶々としましたけど、3日前に突然すーっと繋がったのでした。


その翌日、じぇいど♪さんに送ったメールを転機します。
これをベースに書き直そうと思ったんですけど、臨場感が削げちゃうので、このままで。


おはよーーーー

なっかなか例のアレにアクセスできへんかったんやけど、
昨日はイレギュラーで息子がデイサービス入れてもらってて、迎えに行かなくてもいいから、午後からだら~っとしてたら、アクセスできたっぽいわー。

目つぶってたら、眉間がうにょうにょしてきて、
紫の模様がもあんもあんと見えてきたから、あー、イケるかもー、ってなってさ。
体感もちょっと軽くなってきたし。


で。
やったことなかったけど、
「天文学とか宇宙物理学とか、そーゆー系の研究者になってる自分」
っての、居るー?って探しに(?)行ったら、おってさ。

やー、おるんやー、ってビックリしたけど、
私……なんやろうけど、私やないんよ。当たり前やけど。
もうね、全然違うの。
背も低めやし、ちょっと丸っこいし、でもって、私よりうんとマイペースでのんびりな性格に感じられたんよ。
基本的には好きなことしかせーへん、って感じの。
多分、旦那さんもおって、同じ大学の生物系の研究してる人っぽくて、イケメンから遠くハズれてる人なのよ~~~。
でも、いい人っぽくてさ、
その旦那さんの実家に住んでて、子供も1人おるけど、お義母さんが子供の世話をしてくれてるから、研究に支障はほとんどなくてさー。
なんちゅー幸せな奴や、こいつーー、って思うんやけど、
もちろんさ、彼女なりの悩みとか苦労とかはあるみたいで、頑張ってるんやろうけど、でも、端(っても私だけど)から見たら、良すぎるくらいの人生やろー、って思うんよ。


でね。
じゃあ、こういう「私」がおるなら、「美人に生まれた私」もおるんちゃう?と探しに行ったら、おってさー。
当然ながら見た目は全然違うんやけど、これまた性格も全く違っててねぇ。
あまり深く物事を考えない…というか、楽天的というか。
結婚して、子供もいて、これまた彼女なりに悩みとか苦労はあるんやろうけど、恵まれてる人特有の「毒の無さ」みたいな感じがあって、そんなに深く考えてないんやけど、なんかええ感じになっとる…みたいなんよ。
美人で鼻持ちならない人間、ではないのよね。
なんかねー、それこそ「お花」みたい。


と、こんな2人を見てたら、今のこの自分ってのは、それこそ「いろんなつぶつぶがいっぱいありすぎるくらいある」んやろうな、って思ったんよ。
彼女たちは、頭がいいとか美人であるとか、非常に特徴的ではあるんやけど、
私ほど雑味が無いというかなんというか…。
彼女たちに比べたら、私はオールラウンダーなんやなー、と思ったんよね。
いろんなつぶつぶをちょっとずつたくさん寄せ集めてみた、みたいな。
だから抜きんでてるものは無いんやけど、(もともと優劣なんてないけど)彼女たちより私が劣ってるかってゆーと、そんなこともないよなー、って感じてさ~。


でさ。
じぇいど♪さんが教えてくれたように、つぶつぶの寄せ集めの、そのつぶの1つから強烈な太陽のような「好き」が、私が7歳の時に子供辞典の「宇宙」を見た瞬間から湧き出てしまった……がために、
14歳で「科学者になる。」という夢を諦めて以降、それに代わる強烈な太陽の姿を見つけられない自分にずーーーーっとダメ出しをし続けてたんやなー…って分かってねぇ。
あの夢が消えて、あの太陽が沈んでしまっても、私の世界は別に闇に没したわけでもなんでもないんやけど、あまりにあの光が強烈過ぎたんやな、って分かったんよ。
14歳で夢をあきらめたことに自分が傷ついてる、んやなくて、その後ずーーっと自分で自分にダメ出しをし続けてたんや、って。



じゃあ、あんな強烈な太陽のような光なんて私の人生の初期に無ければ良かったのか、と言えば、やっぱりそんなことはなくて、
あの太陽があったというのは、やっぱりギフトやなー、と思えるんよね。
人生の初期に、まだ無垢さがたくさん残ってる時期から何年もの間、あんな強烈な太陽のような光を全身に浴びていられた、なんて、そんなたくさんの人に起こることやないやろうし。





毎日毎日ちまちまと絵を描いてて、絵を描くことが好きだった…というギフトは、思いがけず仕事に繋がっていますけど、
宇宙のことが大好き…というギフトは、仕事には繋がってはいません。
……繋がってはいませんが、
それが「科学的思考」を私に教えてくれましたし、宗教やスピリチュアルを学ぶにつれ、科学的思考をする自分がいることの大切さをひしひしと感じています。私にとっては「両輪」なのです。

やっぱり、無駄な「つぶ」は1つも無いってことです。

それも愛やで




そして。
頭で分かっただけでなく、「自分ではない自分」を垣間見たことで、お腹の方にもかなり落ちてきてくれました。
キラキラに輝く太陽のような「好き」が湧いてこないことにダメ出しを続ける意味が無くなりました。

すると、
金星や火星といった個人天体ではなく、トランスサタニアンである海王星と冥王星が太陽の背中を押してくれている、ということは、個人のエゴを超えたところで太陽を使え、ということなんだな、ということも、今までよりもすーーーっと自然と自分の中で「分かる」ような、そんな感じにすらなりました。

まー、それが具体的にどういうことなのか、は未だちっともさっぱり浮かんできませんけど、アウトラインとして絶対にそれを忘れるな、ってことなんだろうな、と思います。






あ。
「エイト大好きー♡」は、また別ですからねーーーー!
13 : 15 : 09 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
信じるべき自分なんて最初っから存在していなかった。
2016 / 09 / 29 ( Thu )


ぴゅーーーーっと超高速で飛んできた天使……という感じですかね。
てことは、「最も速い翼を持つ天使」と言われることもあるイオフィエルかしら。

天使の絵をお客さまに描いたんですけど、パレット(という名の牛乳パック)に出した絵の具がけっこー残っていたので、勿体ないなぁ~、と小さい紙に描き始めたら、こんな絵になりました。




さてさて。
1つ前の日記に、「ああ、もういいや。」と、人生に降参だ~…という感覚になったよ、と書きましたが、
確かにそうなんですけど、でも、これって単に頭で理解してたことがお腹に落ちてきたというだけのことなんです。
決して悟ったとかそーゆーレベルの話ではありませんし、仙人みたいになったわけでもありません。

なので、意識はすぐに通常運行になります。
どうなるか分からない先のこと考えて不安になるし、エイトのツアー日程発表に喜ぶし、お腹痛いと「もうイヤ!」ってなって落ち込むし。
相変わらず頭と心は常に忙しいです。
そんなもんです。



…そんなもんなんですが。
でも、ちょっと楽になったんです。

私は、自分のことは肯定的に捉えてはいるのてすが、自分を信用する、ということに関しては非常に怪しい状態のままこの歳まで来てしまいました。
自分を信じる、ということが命題のひとつと言えばそうなのかもなー…と、ずーーっと思っておりました。

少し前まで、大好きなエイトの横山くんがONというドラマに出演しいたのですが、
その最終回で、(生まれつき感情の発露が人とは違う)新米女性刑事に対して、横山くん演じる先輩刑事が

「とりあえず信じてみるわ。お前のこと。」

と、言いました。
そんなセリフを聞いて、もにょもにょ~っとしてしまうくらいでした。
もにょもにょ~…
もにょもにょ~…


しかし、
「ああ、もういいや。」という感覚になってから、この「もにょもにょ~」も気付いたら消えていたのです。
信じるべき自分なんてものは、初めっから存在していなかったんだ、と分かったからです。


夢も希望も必要なかった、信じるべき自分なんてものは最初っから存在していなかった……なんて書くと、これまた「大丈夫?」と心配されちゃいそうですけど、大丈夫ですよ~~~。
たみえかーさんのエゴは相変わらず張り切ってますから!
日常生活はなーんにも変わってませんから!
逆に「すごいなー。この肉体とこの精神を与えられたこと、ここにこうして生きてること…って、ほんとにすごいことだなぁぁぁぁ。」と、
満開の美しい桜の大木を見上げて感動するのに似たような、そんな深い感慨に浸ってしまうくらいです。
自分の人生に降参したからって、自分の人生を放棄するとかじゃないんです。
これが逆なんです。
だからこそ、人生を今までより深く愛しく感じるのです。
そして、そんな人生に対して、自分のできる限りのところで応えたいなー、と思ったのです。

人生を創造するのと、人生をコントロールするのは違うんだなー、と分かったのかもしれないです。
人生をコントロールしようとするのは到底無理だ!と気付いたという感じですかねぇぇぇ。





たとえば。
科学的に考えれば、惑星がどの位置にあろうが、そこに人間に作用する何かが発生するわけ無いんですけど、
でも、多分、何かあるんだと思います。
それを簡単に「惑星のエネルギー」と呼ぶとすると、
特定の位置(アスペクト)の時に、そのぼやーんとしたエネルギーがレーザービームみたいに放射されるようなイメージになるんです。
私の頭の中では。

で、
その飛んでくるレーザービームを消してしまうことは絶対無理なのだけど、
そのレーザービームをどのタイミングでどのように使うか、は、その時のその人の在り方に合わせて、守護の神霊たちと本人の霊魂がフレキシブルに決めていくような、そんなイメージがあるんです。
「分かってへんから、ガツンとやったらなアカンな。」と判断されるか、
「そこそこええ感じやから、ちょっとした変化で気付くやろ。」と判断されるか、
「ええ感じやから、さらに背中押してやるかな。」と判断されるか、
それこそ『それまで人生に対してどのように向き合ってきたか』がキッチリ評価されるのだと思うのです。

なので、「ああ、もういいや。」だからと言って、人生を放棄するわけじゃないです。
ガツンとされちゃうのイヤだしー。

ですから、たみえかーさんは今までと何も変わってないよ、というわけなのです。
「頭いてぇーなー。」と、今日もコレ書いてる途中で横になったら、うとうと寝ちゃったしねー。

14 : 32 : 08 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
水瓶座満月の後から1週間、えらいこっちゃでした。
2016 / 09 / 02 ( Fri )


農家の友人が作った大きいお茄子を、息子に描かせてみたら、こんな絵になりました。
オカンと弟2号が送ってくれた誕生日プレゼントの72色の色鉛筆で描いてました。






さて。
前回の日記にもチラっと書いた「えらいこっちゃだった件」ですが。

8月18日に「変革の使者」が我が家に突然訪れて……なんですが。
この件については、もちょっと時間が経ってから書けたら書こうかな、と思いますが、
とにかく、変革の使者が来たんです。

あ、そうそう。
変革の使者に「芳本美代子に似てる。」と言われたんですけど、絶対それって八重歯だからだと思う…。
初めて言われましたわー。今まで言われたことないわー。
村上信五に似てる、だったらテンション上がりまくりでしたが、似てないし。残念だけど私あんなイケメンじゃないし。いくら八重歯つながりでも。
ちなみに、若い頃はアラレちゃんに似てるって言われました。
ああいう眼鏡かけてたんで。


と、そんな変革の使者がやってきて、いろんな話を聞きまして、あーーーーーー…………、ってなりました。
ざっくり言えば、私は「もっと外に出ることができる人で、もっと外に出るべきだ」というお話でした。
(外に出るってーのは、外出しろってことじゃないからね!みんな分かってくれると思うけど!)


そしたらですね。
翌日に寝込みました。
9時半くらいから頭痛が始まって、なんとか息子のお迎えは行けたんですが、それ以外は寝込んでました。
娘なんて、遊びに行った友達の家でお昼ごはん食べさせてもらっちゃったし。
ママ友さんが気を利かせてくれて、ほんっとに助かりましたよ~。

丁度その一週間後が関ジャニ∞の夏のリサイタルで、月子さんが素晴らしい席(ガイシホールでアリーナの前から5列目!)を当ててくれていたので、こうやって先出しで寝込んでいれば、きっと大丈夫……なんて、思って耐えておりました。
たみえマニアな方はご存知かと思いますが、エイトのライブに行くと、なんやかんやで一時的にせよ体調がすげー悪くなることが多いのですが、関ジャニズムのツアーの時だったかな。
一週間前に倒れて救急車まで呼んじゃった、なんてことがあった時は、逆に心身共にすごーくスッキリした状態でライブに参戦できたのです。
なので、「変革の使者がキッカケで、先出しの頭痛になってるに違いない…。きっとこれでスッキリした状態でリサイタルに行けるわ…。」と、思うことにしたのでした。


で。
その翌日。

丸一日潰れてしまったので、あれやこれやと予定が重なりましたが、すっかり元気になったので予定を粛々とこなしました。
そして、去年から何かとお世話になってる自然食品のお店にも行ってお買い物をしてから、ちょっとゆっくりさせてもらってました。
子供たちも一緒にまったりさせてもらっていた……のですが、
ここの店長さんもスピリチュアルなことにも造詣が深いので、変革の使者が来て頭痛で寝込んだわー、と詳細を話したところ、
今までで一番くらいの強さで、ぐいっと突っ込んできてくれました。

彼女自身は別に何かが分かるとか見えるとかじゃないけれど、
でも、直観でそうだと思うから、と突っ込んできてくれたのでした。

たみえさんは、ココ(おでこのお目目)がいつでも開くのに、開きたくなくて薄目を開けてるだけ…みたいな感じなんじゃないかなぁ?
でももう逃げてちゃダメだよ、ってことなんじゃないかなぁ?
開き直って受け入れたら、体調不良も全部吹っ飛んじゃうかもよ?


…なんてことを、いろんな言葉で力説してくれました。
「えー?そんなことないよー。あたしなんてー。」と、今までの私なら返事したと思います。
今でもそう思う自分もいます。

……でもですね。
具体的にどういうことなのかは分からないんですけど、
何か……こう……ひとつレベルアップするというのか、すぱーんと何かが開くというのか……潮目みたいなものを感じている自分もいるのです。
それは今年に入ってからのもにょもにょ期間を抜けてから、なんとなくですが感じていたことでした。

店長さんは額のお目目が開くという表現をしましたけど、お目目というよりも、それこそ「自分をぱかーんと開く」…ということなんだろうな、と思います。

開き直る。

確かにそれが必要なんだろうな、と思います。
でも怖いんですよね。
変わることが怖いのだと思います。
何がどう変わるのかもサッパリ分かりませんけど、でも変わることそのものが怖いのだと思います。

開き直って、新しい自分を迎え入れたらいいだけじゃない?と言う自分に同意したり、
別に誰かを救うことができるような力を持った素晴らしい特別な人になりたいわけじゃないんだから、今のままでいいやん……と、囁く自分に、そういう意味じゃないんだけど、でもそうだよね、と思ったり、
自分の中でいろんなモノがギシギシと大きな音を立てているような、そんな感覚になりました。



なんてことがあっての、翌日。

夕方に息子がなかなかの下痢をしたのですが、彼はすぐに良くなりました。
が、夜に私が下痢になりました。
息子と違って、そこそこの長時間かーなーりお腹が痛くて、何度も下痢でトイレに走り、最後は水のような下痢になりました。
色がついてないんです。
すると、あまりに腸が動きすぎたせいか、胃までおかしくなって気持ち悪くなり、水も飲めなくなってきました。
仕方がないので、おとーちゃんが夜間救急のところに連れて行ってくれまして、吐き気止めをプラスした点滴をしてもらいました。
胃腸風邪だと言われました。

……うん。
夏の胃腸風邪なんだろうね。
でも、違う面から見たら、「浄化」だよねコレ……。
お掃除だよね…。
ギシギシ動いた分、「消えていく姿」が浮き上がってきたんだよね……。

と、点滴をしてもらいながら思いました。


それが日曜日の夜で、
月曜日は食欲も無く、おかゆ代わりにゆるゆるになったお茶漬けを少しずつ食べては、一日中ゴロゴロしてまして、
ヘロヘロになりながら、火曜日の午前中に息子の学校に懇談に行きました。
「元々痩せてらっしゃるけど、さらに痩せました?大丈夫ですか?」と息子の担任の先生に心配されちゃうくらいでした。

頑張って懇談に行ったは良かったんですが、やはりお腹の塩梅はずっとイマイチで、結局リサイタルの前日、25日までイマイチの状態が続きました。
食欲もあまりありませんでした。
えらいこっちゃでした。


家でゴロゴロしている間、久しぶりに五井先生の本を何冊か読み返しました。
忘れていた大切なことを、あらためて教えてもらったような気がしました。
(具体的なことは何も分からないけど)自分の天命(課題)が完うされますように、という祈りの原点に居れば、不安や恐れも「消えていく姿」として観ることができるんだ、という大切なことを、です。
天命が完うされますように、と祈りつつも、どこかで「今の(こじんまりした)自分」から変わるのを恐れ続けていることを、ハッキリ理解しました。


さらに家でゴロゴロしている間、こんなツイートを目にしました。



















マスターの魂の断片を持っていようがいまいが関係なく、その天命の重さにも関係なく、
自分自身の本質を知る、ということはとても大切なんだろうな、と思いました。
そして、「そこから逃げる」というのは、何もフラフラした生き方をするというばかりでなく、現状維持にしがみつく、というのも同じなんだろうな、と思いました。


誰もが素晴らしい本質を内に秘めていて、
それに気付いて、ぱかーんと開けば、そこから素晴らしい自分がどんどん湧き出てくる。
そこにはネガティブが入り込む余地は無いのだから、安心して湧き出るままにすればいい。


そんな単純なイメージを持てばいいのに、やんややんやと横ヤリを入れる自分がいるんです。
怖い怖いと言う自分がいるんです。




なーんて書いてて、
「脱皮寸前の蝶みたいやなー。」
と思いました。
殻を破って出てくるしかないのに、こわいよーこわいよーって閉じこもってるみたいです。
殻を破らなかったら、そのまま死ぬしかないのにね。

TOMOKOさんだって
山羊座☆次のステージへ
って書いてるしねー。
http://tomoko7art.blog85.fc2.com/blog-entry-1162.html





と、まぁ、えらいこっちゃな1週間だったのでした。
でも、エイトのリサイタルはめっちゃ楽しんできましたし、いろいろ考えさせられて、自分を見つめる時間となったので、これで良かったんだろうなー、と思います。
今は。
14 : 37 : 53 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
どうしたってジャッジしちゃうよ人間だもの。
2016 / 05 / 02 ( Mon )


息子の浮輪についてた紐が猫たちには大好評でして、
ブ子さんも「遊んで♪」とよく持って来ましたが、黒丸は「取ってこーい。」と言ってこれを投げてやると、くわえて戻ってきます。
犬みたいです。
犬かもしれない。




さて。
先日、Twitterでこんなことをツイートしました。















スピでは「ジャッジをしない」ことを推奨されてるような気がするのですが、
そんなことはやっぱり無理だよなー、と思うんですよ。
ただそのまま受け止める、という域にはなかなか達することはできません。
分析しちゃいますよ。どうしたって。
分析したらジャッジしますよ。どうしたって。


でもですね。
がっつりジャッジもするし、「こうしたらいいのにー。」とか余計なお世話で思っちゃうんですけど、
「そういう人もいるのねー。」と思う部分も増えてきたのです。
なんて言いますか……、完全中立ではないけれども、車のニュートラルに近い感じです。
ギアがどこにも入っていない、みたいな感じ。

それすらどこか上から目線なんだと思うんですけど、人間なので仕方がないですね。
けれどもこうやって人間はどんどん年を重ねていって、いつの間にか好々爺になっていくのかもしれんですね。
もちろん、いじわるばーさんのままってのもアリですけどね。
なんでもアリですよね。人間だもの~。
18 : 24 : 37 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
私はモデルチェンジを2回しているのかもしれない。
2016 / 04 / 18 ( Mon )


土曜日に、息子がいきなり「庭の草抜きをする。」と言い出しまして、
まずおとーちゃんが機械でがーーっと草刈りをしてくれまして、その後に小一時間ほど息子と私で草抜きをしました。
この雑草はおとーちゃんも息子も残しておいてくれました。
かわいいから好きなの~。



さて。
昨日のブログ記事で、ここの小学校の子供たちが素晴らしいってことを書きましたけど、
じゃあここの小学校では子供同士の人間関係に全く問題が発生しないのか、と言えば、そんなわけはなくて、あちこちいろいろあります。
決してパラダイスというわけではないです。
……ということだけ、付け加えておきます。

人間関係なんてねーー
一番難しいことですもんねーー
まぁでも、大人も子供も人間関係の問題ってーのは

言わなくてもいいこを言う か 言わなくちゃいけないことを言わない 

のどちらかで発生するもののような気がしてます。
今から思うと、若いころの私もそのどっちもやらかしてたことが多かったなぁぁ~……と、恥ずかしくなります。
今でもまだまだ未熟ですけど、かなり未熟でしたからねぇぇぇ……。ああ恥ずかしい。


あ。
そういえばですね。
先日、こちらの記事
http://celestie.blog23.fc2.com/blog-entry-2247.html
を読みまして、なるほどー、と思ったんです。

私は、19歳までの自分と、20歳から30半ばまでの自分と、それ以降の自分では、それぞれ別人……とまでは言いませんが、
それでも部分的な感覚では別人と感じるくらい違っているなー、と思っていました。
20歳からは健康面でネガティブな変化があったために、それ以前の自分とそれ以降の自分では考え方や生き方にどうしても変化が出てしまったのは仕方がないと思っていましたし、
最初の子供を産んだのが34歳だったので、育児をするようになってからもまた内面的に大きな変化が起こったのも当然だったんだろうなー、と、そんなふうに考えていました。

けれども、もしかしたらそれだけが理由ではないのかもしれませんね。
魂レベルでの理由もあるというのなら……ちょっと納得です。
それくらい、自分の中では感覚的に「違う人間」になっているのです。
モデルチェンジしたみたいな、そんな感覚です。


なんであれ、
リンク先記事に書いてある言葉を流用するなら、『この時空間のなかで人間として生きるうえで実現する霊的成長』をするために、それぞれの魂がそれぞれの方向性や度合いでもって目標値を定めて「今のこの自分」として生まれてきてるんでしょうから、
必要なモデルチェンジを何度かしながら、粛々とこの人生を生きていくしかないわけです。
『天命を信じて人事を尽くす』という五井先生の言葉も頭に浮かびます。
自分の魂が「今のこの自分として生きて実現しようとしている霊的成長の目標値と実現の仕方」(天命)なんてさっぱり分かりませんけど、それが実現されると信じて、自分を信じて生きていくしかないですし、それが一番強力なグラウンディングなのかもしれないなー、なんて思ったりもします。






もしも魂というのは、人生の中でまるでモデルチェンジするようなタイミングが何度かあるのだとすれば、
その頃に出会う人との縁というのは、とても大きな意味を持つのかもしれませんね。
私とおとーちゃんにとってそれは息子だったわけですが。
……あ。そいえば。
おとーちゃんと出会ったのって19歳の時でしたわ。
おおー。


※追記※
そいえば、私は8歳(小3)でもモデルチェンジしてましたわ!
この時のモデルチェンジはなかなか劇的でしたわ~。
覚えてますもん。
「世界の見え方」が突然変わったの。
なので、モデルチェンジは3回してましたね。あたし。
でもって、小3の時に出会ったのが一番仲良しだった友達でした。

16 : 15 : 01 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
もしかして、もしかしたら…
2016 / 03 / 15 ( Tue )


inahoの店長さんに頼まれまして、特別に描かせていただきました。
お友達のお店の開店祝いに贈りたい……とのことだったので、開運・金運サポートのエネルギーを降ろしながら描かせてもらいました。
そのお友達にも気に入ってもらえたようで良かったです~♪

お店が繁盛しますように!



*+*+*+*+*+*+*+*



さてさて。


先日、突然「ハッ!」とした話です。

去年の9月に発生した娘のディスレクシア問題からこっち、なんだかんだでずーーーーっと娘に心配をかけさせられています。
今までこんなことなかったのに、なんだかんだと続いているのです。

いえね、ディスレクシアに関してもね、分かったからこそ親の態度もより善いものに変えられましたし、学校の先生もちゃんと理解してくれてますし、なにより本人が自分の資質を理解できたことが大きくて、苦手だけど頑張ってるんですよ。
そしたらですね、去年の1月から通いだしたソロバンの効果も出てきたんだろうな、と思うんですが、算数のテストの点数が高め安定してきまして、
それにつられるかのように、理科や社会も高め安定してきたのです。
苦手だけど漢字を頑張るぞ、という娘の心意気が他の科目にも反映されてるような気がします。
そして、勉強が楽しいと言い出したのです。
私もどっちかというと学校の勉強は楽しかった方なので、学ぶ楽しさを娘が感じてくれているのがとても嬉しいわけなんですが、
これはディスレクシアだと分かってからの好転だよなー、と感じています。
だから、心配かけられても心配かけられておしまいではないし、おしまいにならないように親としても努力はしてるんですが、
それにしてもねー、なんだかんだと続いているのは、親としては少々キツいのです。
私、心配性だからねぇぇぇぇ。
心配しまくるわけですよ。心の中で。
そりゃしんどいですって。


そしたらですね。
先日、突然ハッ!としたんです。
ほんとに突然。いきなり。前触れもなく。



ディスレクシアだと気づくちょっと前に、娘ちゃんにゆーたよなぁ……。
『親に心配かけたくないって理由で親に相談しないというのはアカンよ。親は心配するのが仕事やでね。』
って……。



それからも時々娘に言ってたんです。私。
親は心配するのが仕事だからね、って。

親は心配するのが仕事だ、と言葉にして言ってるから、そういう現実が創造され続けてるんじゃね?
……と、ハッとしたのでした。

もちろんねー
そういうつもりはありませんでしたよー。
心配したいから言ってるわけじゃなくて、心配かけたくないから親に相談しないなんてのはしなくていいからね、というのを娘に伝えるために、娘により伝わるようにと思って言った言葉なんですから。

でもですね………

特に今年になってからなんですけどね、
所謂スピで地球の次元が上がっただのなんだのっていう話がですね、もしかしたら本当かもしれないな、と、なんとなくなんですけど、根拠は示せないんですけど、そんなふうに思うようになってきたんです。
同じ物理世界に生きてて、同じ世界を共有してるんだけど、それは間違いないんだけど、でも薄いヴェール1枚で世界が隔てられてるような………
同じ世界を共有してるけれど、それぞれ異なる次元を生きてるような、そんな感覚を覚えるようになったんです。
もしかしたら、「私という意識」は今までの次元と平行して、次元がほんの少し上がったところでも生きてるのかもしれないと、思ったりすることが増えたのです。
(それは、「上のヒト」を感知する、という意味ではないです。あくまでこの物理世界での「私という意識」の話です。)

もしもそうだとしたら、
不用意に発した言葉でも、その言葉が現実を創るスピードは以前より速くてもおかしくないわけで、
それが、自分に起こっているんじゃないか?とハッとしたのでした。


いやいや、そんなバカな~……、と否定したりもしてみたんですが、
すると、間髪入れずに長居和尚さんのこの記事が目に入ってきたのでした。
http://blog.goo.ne.jp/osyou16_1965/e/183783e1fc5eaf0cbd6ceee128119526


言霊で自分を縛る、という言葉にドキっとしました。


現状を言葉にしただけ、
分かりやすく伝えるために言っただけ、
感情を言葉に表しただけ……でも、言霊で自分を縛ってしまうことになるわけです。


やはり、今まで以上に発する言葉には慎重になった方がいいのかもしれない、と思いました。

まぁね、私の感覚が全くの的外れであったとしてもですよ、発する言葉に慎重になるのは悪いことではないので、気をつけていこうと思います~。

15 : 25 : 00 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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