こんな私ですけど。
2017 / 04 / 20 ( Thu )


以前、こんなことを書きましたが。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-1297.html

この数日後、浜松のお寺に行ったのですけど、そこは浄土真宗のとある宗派ですから、もちろん「他力本願」なお話をしてくださるわけです。
そして、私たち夫婦(や家族)が豊橋の先生と20年近くも縁が続いてるというのは、「(他力本願による)救われの道」に入っているからだ、と言われました。

「他力本願」を本来の意味とは違った使い方をしている人も多いかと思いますが、めっちゃざっくり言いますと、すべての人間が救うという阿弥陀如来の「本願」によって我々は救われる、ということです。
五井先生の教えも「お任せしきる」ですし、小学生の頃に2年間ほど教会に通って聖書の教えを聞いていたのですが、イエスの教えも私からすると同じに思えていました。

振り返ってみると、私の場合は自力で救われようとする方法ではなく、神霊(神・仏・高次の自分…などなど)にお任せしきるという道を進むように促されていたんだなー、と思います。
もちろん、全員がその道を進んでるわけではないです。
私の場合は、です。

そして、浜松のお寺さんに「自力も他力もどっちもと、中途半端なのがよろしくない。」と言われて、内心きゅうううう~となりました。
『信頼すべきは、高次の自分、神なる自分しかないやん。』と思えたにも関わらず、どうしても「自分」でなんとかしようという意識が知らず知らずに浮かんできますからね。
お任せしきる、というのは簡単なことではありません。
下手に知識や経験がある方が余計にアカンですね。
親鸞が「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」って言ってますけど、そりゃそうだよなー、と思います。
自分のことを悪人だと自覚しているなら、こんな悪人の自分が救われるのは阿弥陀如来への帰依しかない、という心境になりますもんね。
イエスが癒しの奇跡を起こした時にも「貴方の信仰が貴方を救った」と言ってるところがありますしね。


まぁ、でもですね。
それを分かった上で、宗教についてもスピについてもあれやこれやと分析し考察し、自分の中で組み上げ続けているんです。
遠回りなんだろうなー、とも思うんですが、おそらく誰かに語るための言葉が欲しいのだろうと思います。
私は誰かを救うことはできないけれど、私の魂を語ることで、誰かに「それが私たちなのだ」と伝えたいのだと思います。

で。
最終的には、言葉で語らなくてもそこに居るだけでそれを伝えられる可愛いおばーちゃんになりたいですね。
そのためには、お任せしきるしかないんですけどね。
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16 : 35 : 15 | 魂・霊性など | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
これ見て~♪
2017 / 04 / 18 ( Tue )
これ見てみてー。




ほんとに「ほぼ同じ人」ですなぁぁぁ!
17 : 08 : 16 | おすすめ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
テオに甘えてしまった。
2017 / 04 / 13 ( Thu )
咲くのが遅かった今年の桜ですが、例年以上にぱーーーっと咲いてぱーーーっと散っていってます。

桜くまえる


ちょっと私のガイドの話をば。


おかげさまでここ2ヶ月ほど体調がそこそこ良かったのですが、4月になってからカクンと調子が下がってきまして、
でもって(前回は3週間遅くきたのに)1週間早く来た生理が、閉経前の頑張りを見せているのか、今回はどえらいことしんどくてですねぇ…。
さらにそんな時に限って、いつもはおとーちゃんが息子をスクールバスのバス停に送っていってくれるのに突発的に用事ができまして、どうしても私が送っていかないといけない状況になったりしたわけですよ。

しんどい時に車の運転はしたくないんですが、息子をバス停まで送っていかないと息子は支援学校に行けませんからね。
どうしても行かないといけません。
ですから、漢方薬も飲みましたし、ヒーリングもしまくりましたが、重い重い生理のしんどさは治まりませんでした。
しんどいながら、なんとか運転してたのですが、やっぱり辛いわけです。

すると、運転中にふとガイドのテオの顔(←っても私の勝手なフィルターを通した顔なんだけどね)が浮かびまして、
「ああああー。テオ、お願いだー。君のエネルギーで包んでおくれ~。」
と、いつもならそんなことお願いしないのに、しんどさのあまりお願いしたのでした。

で。
バス停に着いて、時間調整で少し車の中で息子とおしゃべりして、バスが来たら息子をバスに乗せて、他のママさんと少しだけ新年度のお話をして、車に乗り込んで帰路についた……ら、

「あれ?いつの間にか楽になってる……。」

と、気づいたのでした。
お願いしといてこんなこと言うのもガイドに失礼ですが、正直驚きました。
まさかこんなにすぐ楽になるなんて、思ってもいなかったからです。

や、漢方薬が効いたんだろう…。
や、ヒーリングが効いたんだろう…。

と、思ったりもしましたが、テオのおかげが大きい気がしてならなかったので、素直にお礼を言いました。



てなことがありまして。
昨日もまだしんどくてダラダラしつつも、ブログ記事を書いていたらですね、またしてもふとテオのことが頭にふと浮かんだのです。
そして、テオだけでなく、いろんな存在が守護してくれてるんだよなぁ……と、彼らに対して想いを向けた途端、つけっぱなしにしていたテレビから聞いたことのない歌…だけど、聞いたことのある歌声が流れてきました。

NHKのみんなのうたの、今月・来月の歌でした。
V6の「太陽と月のこどもたち」でした。
http://www.nhk.or.jp/minna/

うああああああ!

と叫びそうになりました。
ちょっと泣きそうになりました。





うん。
ほんとうは知ってるんですよ。
彼らがこんな感じだってのは。

でもですね、なんだかね、甘えちゃアカンと思ってる自分がいるんですよ。
正確に言うと、「上手に甘える」のと「甘え過ぎる」のと「依存する」のと……そこらへんの線引きがイマイチよく分からんのです。
多分彼らは、アカン方向に甘やかすなんてことはしないと思うので、甘えたって大丈夫だと思うんですがねぇ~。
変なところで長女気質が発動してるようです。






……いや、分からん。
テオはあまあまに甘やかすかもしれん。私を。
18 : 19 : 37 | 「上」関係 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
氣乃さん太っ腹
2017 / 04 / 12 ( Wed )
春ですね~。
名古屋に住んでる時もそうでしたが、ここに引っ越してきても家のすぐ近くに桜の並木道があるので、桜が咲くと一期に風景が変わります。
春ですねぇぇぇぇぇ。



さて、そんな春のお知らせをひとつ。

私もよくお世話になっている氣乃さんが、またしても太っ腹なことをしてくれております。
http://ameblo.jp/kino-tasuku/entry-12261486683.html

氣乃さんは、ヒーリングエネルギーを受け取るだけでは勿体ないよ、というスタンスで、さまざまな実践方法も提示してくれています。
特に、無料でエネルギーを受け取るというのは、なんて言いますか…「収支が合わない」ように私は感じてしまうところが若干あるので、『自分だけで欲張らず周囲におすそ分けしまくる』というのが私は良いなぁ~、と思っております。
(や、もちろん長期的・多角的に見てすべて収支は合うようになってるんでしょうけどね。)

ピンときた方は上記リンク先にアクセスしてみてください。
春だしね。
新しい環境であわあわしてる人もいるでしょうしね。
私みたいに体調がイマイチの人もいるでしょうしね。
(ここんとこずーっと調子がそこそこ良かったんですが、4月になったら途端にイマイチになっとります。春のせいや~。)

というわけで、お節介おばさんからのお知らせでございました♪
10 : 52 : 14 | おすすめ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
それは、誰かの心にちゃんと残る。
2017 / 04 / 11 ( Tue )
ブ子

今朝、FBが『去年の今日、こんな記事を書いてましたよ?』と一年前の記事を出して来ました。
それは、10日間行方不明になってたブ子が帰ってきた、という速報記事でした。

あの記事にはブログを読んで下さってる方々がブ子の帰りを祈っていてくれたコメントもありまして、それも一年ぶりに読み返し、人の心の温かさをじんわり感じておりました。
きっとコメントしていない人の中にも「ブ子ちゃん、無事に帰ってくるといいなぁ。」と思ってくださってた方もいらっしゃったと思うのです。
人間の善性は、温かいです。



人間の善性。

その現れ方は様々ですが、ご近所のおじさんの現れの1つは、ボランティアでほぼ毎日小学生の下校に付き添う…というものでした。
田舎なので、そこそこの距離を付き添うことになるのですが、それをほぼ毎日何年もやってくださいました。
ヤンチャな子をガッツリ叱ってもくれていました。

そんなおじさんでしたが体力的にしんどくなってきたのか、確か娘が1年生の時だったと記憶してるのですが、ボランティアを引退されました。
それでも、息子が在籍していた支援クラスの行事に招かれると、愛用のカメラを持って参加してくれました。
写真もよく頂きました。


しかし、先日。
おじさんが亡くなりました。
町内のお手伝いとして、おとーちゃんもお通夜の式と告別式に行きましたが、お通夜には卒業生も何人か保護者と一緒に参列していたそうです。
息子と娘も連れて行こうかと思いましたが、息子が(おそらく斎場の雰囲気が怖くて)行かないと言うので、お通夜の式には参列しませんでした。


が。
おとーちゃんが帰宅すると、
「○○さんのお顔はどうだった?」と息子は真剣な表情で訊きました。
やはり最後におじさんの顔を見たい、と息子が言うので、斎場から帰ってきたばかりのおとーちゃんが私達を連れてってくれました。

息子が行くと、おばさんたちが喜んでくれました。
おばさんたちに息子が
「○○さんは、ぼくをずっと見守ってくれてたんだよ。」
と、言いました。
おばさんは、
「息子くんがくれた(学校で書いたお礼の)お手紙、(おじさんが)全部どこかに仕舞ってあるはずだよ。」
と、教えてくれました。



人の善性の現れは、誰かの心にちゃんと残るものなのだろうな、と思いました。
21 : 09 : 35 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
吸引力が変わらないただひとつの黄色いくま
2017 / 04 / 06 ( Thu )
お花ちゃんに手持ちの水晶のリメイクをお願いしたのですが、その荷物の中にコレも入れておきました。

お花ちゃんくまえる

今回は選んだ紙の性質もあって、油性マジックで線を描きまして、色鉛筆でガシガシ塗りました。
最後に白色ペイントマーカーで光を入れておきました。

今回くまえるが持ってるワンドはダイソンです。
あれやこれやを吸い取ります。
娘がこの絵を見て、
「このワンドはイナリソが黒くなったのと同じ理由だね。」
と言いました。

それから、右手に持ってる「玉」ですが……これはよく分かりません。
分かりませんが、意味深だよなぁ~~、と描いてて思いました。


お花ちゃんがこのくまえるの絵を気に入ってくれたみたいだったので良かったです♪

お花ちゃんくまえるアップ


21 : 39 : 21 | 民絵屋 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
反省せず後悔と悲しみに逃げるから同じこと繰り返す、は名言。
2017 / 04 / 05 ( Wed )

先日、数年ぶりに子供たちと餃子を作りました。
餃子を前回作った時も息子はパチンと挟むヤツを使ったのですが、これがもぉぉぉカオスでした。
娘は娘で手包みが上手にできずにカオスその2。

それが今回、2人とも手先の動きに明らかな発達を認められまして、上手に包むことができました!
かーさん感動しました!




さて。
昨日、こんなツイートが回ってきました。


(上記ツイートがRTした元ツイートは以下です。)



反省せず後悔と悲しみに逃げるから同じこと繰り返す、は名言だ。

と、すぐにツイートしました。
自分自身にもガッツリ思い当たるからです。
反省することと、後悔や悲しみや卑下などに逃げてしまうことは全く違うことなのに、後者に流れる人の方が圧倒的に多い気がします。
もちろん私もです。


するとですね。
このようなツイートを読んだ直後に、娘がやらかしました。
もうすぐ新学期が始まるので、小4の一年間で使った教科書やノートやテスト用紙などを段ボール箱に退避させていたのですが、
1月末に学校に提出するように娘に渡しておいた大事な大事な書類が封筒に入ったまま出てきたのです。
お金に関することなので、たみえかーさんは娘を叱りました。
しかし、その後も教頭先生から渡されて、娘がおとーちゃんに渡さなければいけなかったPTAの大事な書類も出てきました。
たみえかーさん更に叱りました。

当然ながら娘は泣きますわな。大泣きです。
泣きながら、私はバカだ~!と言い出しました。
「あー。さっきのツイートそのまんまだなぁぁ~…。」と、泣きまくってる娘を見ながら思いました。

なので私も反省し、叱るのはピタっと止めて、娘に以下のことを(叱るのではなく、理解を促すように)言いました。

・この書類を学校に出さなかったことで、どういうことが発生し、困るのか、ということ。
・今は子供なので責任の取りようがないため、ごめんなさいと謝るしかできないし、それで許されるけれど、大人になって仕事で提出期限を守れないと、責任を取らなければならないし、誰かからも信用されなくなり、自分がとても困ることになる、ということ。
・以上の説明により、自分が今回やらかしたことの意味を理解したことで、泣いて後悔して自分を卑下したくなるのはとてもよく分かるけれどそれをしてしまうと、本当には反省できない、ということ。
・なので、私はバカだと言って自分を責めることは止めて、反省をしなければならない。
・反省するということは、やらかしたことの意味を理解し、申し訳なかったと心から思い謝り、じゃあどうして私はやらかしてしまったのかを自分を客観的に見て分析し、その分析を元にどうしたら今後はそれをやらかすことなくできるかの方法を考える、ということ。(ここで、彼女がディスレクシアだと判明したことで、弱点を知り、対処法を具体的に考えることができて、それを実施したおかげで、漢字テストの点数が上がった、という成功体験があるのも意識させた。)


娘は片付けが苦手だったり、若干パニックになりやすく、慌てると「とりあえず」の行動をしがちです。
そういう弱点がある、ということを娘も自覚していたので、それをしっかり自覚することが大切だと教えました。
それは自分を卑下するために自覚するのではなく、自分の弱点をしっかり把握することで、それをカバーするための手順やシステムを自分自身で工夫し、その工夫した手順等をキープする努力を続けることができ、結果的に弱点を補完できるのだ、ということを教えました。
去年も同じようなことがあったので、「このファイルフォルダーにプリントは入れるようにしなさい。」と去年の春に私から言ったのですが、言われただけではダメだった、自分でちゃんと反省して意識しないと同じことを繰り返してしまう、ということを娘は泣きながらも理解した様子でした。

すると、数時間後、郵便局に向かう車の中で娘が「自分で考えた手順・方法」を言い出しました。
新学期からそれを続ける努力をして、同じ失敗をしないようにする、と言ったので、「がんばれ!」と励ましました。



夕方、(学校への連絡等について私がLINEで相談してたので、娘のやらかしについては知っていた)おとーちゃんが帰宅した時に、娘はおとーちゃんに謝り、そして自分の弱点をカバーするためにこういう方法を考えた、と説明しました。
すると、おとーちゃんは、
「社会人になると、失敗に対しては始末書というものを書かないといけないんだよ。失敗したこと、失敗が何故起こったかという分析、それに対する対応方法、の3つを書かないといけないんだよ。なので、娘ちゃんもそれをちゃんと紙に書いておこうね。書いたけどまた同じ失敗をしたら、その時はまた叱られて、また始末書を書かないといけないからね。」
と、言いました。
娘も納得していました。



これで本当に提出物を埋もれさす…ということが無くなるのかは分かりませんが、親から「こうしなさい。」と言われるだけじゃなくて、彼女なりに反省して分析して自分で考えたので、見守ろうと思います。

13 : 02 : 37 | 家族 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
私は何故嘘つきなのか。
2017 / 04 / 01 ( Sat )


今日はエイプリルフールですね。
嘘の日なので、嘘について気づいたことを書いておこうと思います。



私は嘘つきです。
その場を乱さないように嘘をつく……と言えば聞こえはいいですが、嘘は嘘です。
「嘘も方便」なのも分かっていますが、「本当のことを言う勇気が出ない」だけなのだと思います。
自分の意見を言う勇気が無かったり、いい人で居ることをやめられなかったり、非難されることが怖かったり…と、そんなところです。

何故なのかなー……と、地味にずーーーっと自分に対して思ってはいたのですがさっぱり分かりませんでした。
しかし先日、「あ!」といきなり分かりました。

子供の頃のことです。
父親の会社の取引先が倒産し、父親の会社も倒産しました。
それから借金返済催促の電話が自宅にもかかってくるようになりました。
すると、父親が自宅に居るのに、子供の私に電話に出て「お父さんは居ません。」と言うようにお願いされるようになりました。

その時、私はイヤだとは思いませんでした。
父親が困っているのを助けることができる自分になっていることが嬉しかったのです。
嘘をつくことが親を助けられる喜びとリンクしてしまっていたのです。

そのこと自体を忘れていたわけではありません。
しっかり覚えていました。
けれど、それが私の本来備わっているであろう「正直さ」を汚染しているとは思ってもいませんでした。
それにハッと気づいたのでした。




親だって凸凹があり、そして必死に生きています。
多かれ少なかれどうしても親の在り方が子供を「汚染」してしまう部分はあるのだろうと思います。
それを嘆いたり恨んだりしても意味が無いので、そこを自分で掃除していくしかないし、それが「学び」の1つなのでしょう。

……そして、私が子供たちの何かを汚染している部分もあるんだろうな、と思いつつ。
22 : 00 : 47 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
鍋底焦げ焦げ
2017 / 03 / 30 ( Thu )
2階廊下の窓際で黄昏ていました。おブ子さん。

黄昏


さきほど、こんなツイートを見つけたのでRTしたのですが。




……じわじわキてます。


今週の初めにオカンが泊まりで来たと前回の日記に書きましたが、
岐阜に帰る日に、いつもの自然食品のお店にオカンと子供たちを連れて行きました。
すると、スピの話もできちゃう店主さんに、オカンが自身のオカルト経験などを話したりしてた…のですが、
その話の中で、オカンより霊感の強い弟1号のこともちょっと話に出たりしました。
そして更にNO霊感の弟2号の話もちょっと出てきまして……と、そこまでは良かったんですが、
オカンが、
「息子たちは、『おねーちゃんは可哀想だけど一番頭悪いもんなー。』って言っててねぇ。」
と、言ったのでした。

それは太陽は東から昇って西に沈むことくらい明らかなことですし、弟たちがそう言っていたこともオカンから何度も聞かされてますし、今さらそんなこと言われてショックを受けるなんてことも無い…ハズだったのですが、涙がうわ~っと出そうになったのでした。
ヤバいヤバい!と、必死に涙を押さえ込んだのですが、ちょっと目がうるっとしてたと思います。
それでも、春はちょいちょい急に目がショボショボしてうるうるっとなることがあるので、そんな感じに見えるかな?と思って、何食わぬ顔をしてました。


私ってば、なかなかココから抜けられないんだな~…。


と、会話を続けつつ、そんなことを考えていました。
平行世界の「頭が良くて、好きな研究を続けている私」を垣間見たことで、そのあたりはかなりスッキリしたような気がしていたのですが、まだまだぐつぐつに煮詰まった焦げは残っているんだな、と、感情が動くより先に涙が溢れそうになる、という反応で理解しました。
(感情は動いてないのに涙が溢れそうになったので、どえれ~ビックリしたがね!)



何者かになりたがってる自分がまだまだアチコチに居るんやろうな~……と、先のツイートを読んで思います。
じわじわキます。
自分で思ってるよりも、うんと辛かったのかもしれんですね。
そして、10代20代の私は「受け入れる」んじゃなくて「あきらめる」しかしてなかったのかもしれんですね。
だから鍋底は焦げ焦げ。
かなり焦げをこそげ取ってきたつもりだけれど、まだまだ残ってるってことですね。
(実はですね、今年の冬に愛用の鍋を盛大に焦がしたのですが、重曹を混ぜた水を入れて毎日ストーブにかけていたら、ようやく焦げが全部取れたところなので、そのうち自分自身の焦げもそのうち全部取れると信じることにします~。)





でも、そういう「自分ではよく分かっていない自分」を知るのはとても興味深いです。
一生かけて自分を知り続けるのでしょうね。
ほんとうに興味深いです。
22 : 47 : 54 | つらつら | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ご供養やらお参りやら…な春休み前半となっております。
2017 / 03 / 28 ( Tue )


息子が春休みに突入し、
1週間遅れて娘が春休みに突入しました。
なんやかんやあり、ブログに書いておきたいこともイロイロあったのですが、ツイッターでぼそぼそつぶやいて終わりにしておりました。

日曜日から岐阜のオカンが我が家に遊びに来てくれてました。
1年ぶりだったので、子供たちが大喜びでした。
しかし、二泊三日のお泊まりはあっと言う間に過ぎ、オカンがさきほど帰路につきまして、子供たちはションボリしております。

最寄り駅に送っていく前に、喫茶店でケーキを食べて、
さらに一宮にお参りしてきました。オカンと子供たちと一緒に。

実は昨日もオカンと娘と3人でお参りに行ってきました。
その時に、里宮の本殿だけではなく、縁結びの御社と、その隣にある「本宮山参拝所」にも連れていきました。
神社の本宮が「本宮山」にあり、いつもお参りしているのは「里宮」なのですが、その里宮の中に本宮山参拝所があるのです。
鳥居があって、その向こうに若い木があるだけなのですが、この鳥居が次元の扉なのねー、なんていつも思っておりました。
なので、オカンに「これは次元の扉やで~。ここくぐると本宮山なんやで~。本宮をお参りできるんやで~。」と、冗談っぽく説明したところ……霊感の強いオカンが「ひー。ぞみぞみする~。足元からぞそぞぞーっとくる~。」と言い出しました。
何か強く感じてたようです。
すると、いつもなら鳥居をくぐると「ぽやん」とした感じになるだけの私までが足元からぞぞぞーっとしてきまして、「あ~、同調しちゃったな~。」と思いました。

と、まぁ、そんなこともありーので。



実は実は、
オカンが来た前日に、浜松のお寺さんに家族4人で行ってきました。
九州に住む弟1号の代理で、ご先祖様の水子供養をしてきたのです。
今年の2月……我が家ではインフルエンザ騒動真っ只中の頃に、オカンと弟が久々に豊橋の霊能師の先生のところに行きまして、そこで父方の祖父母の水子の存在を発見してもらったのでした。
弟とずーーーーーっとうまいこと共存してたそうなのですが、弟の変化に伴ってその存在が見つけやすい状態になったようで、ようやく見つけ出してもらった……という感じだったようです。

先生とのご縁は20年ほどになりますが、初期の頃は私と旦那さんで紹介してもらった名古屋のお寺に先祖供養をしてもらいに何度か通いました。
中期になりますと、私と旦那さんが直接ご供養をお願いしに行く、という段階から、私の方ではオカンが、旦那の方ではお義母さんが一畑山薬師寺でもらってきた御札を四十九日間お祀りするという方法でご供養をするようになりました。
すると、ある頃から、先生のところに伺っても供養が必要なご先祖様という話にはならず、さまざまな神様話を聞かせてもらう…というステージにランクアップして行きました。
そして最近になり、久々にオカンがご供養せねばならないご先祖様のことを先生に紹介してもらった浜松のお寺で永代供養をしてもらいました。
ここで、「おお、薬師寺さんの方法から変わったのか~。どんなお寺さんなのかな~。でも、もうお願いすることは無いかな~。」と思ったのですが、弟の代理で行くことになり、私もほんとーーーに久々のご供養の場に立ち会うことになった……というわけでした。

……ああ、そいえば、一番最初に先生のところに行ってお話を聞いてた時に、私に寄りかかってたご先祖様の水子ちゃんたちのうち1人が、先生に見つけてもらえただけで私の腕からひゅ~~~っと上がっていった…なーんてこともありましわ。
「あなたの魂はとてもお人好しだねぇ。行き場が無いご先祖様や水子ちゃんたちに『ここにいたらいいよ。』って許可してるんだもんね。」と、初めて会ったときに先生に言われましたからね……。
私が、じゃないですよ?
私・の・魂・が・お・人・好・し・な・ん・で・す!
困ったもんですな~。

で、ですね。
その浜松のお寺さんはお話がとても上手な方で、これまたいろんなお話を聞かせてもらったのですが、水子には2種類ある、というお話がとても興味深かったです。
生まれてくることができなかった赤ちゃんというのは、『受胎したことだけで修行が完了する(ので生まれてこない)子』と『生まれられない業がある子』の2種類いるのだそうで、供養が必要なのはもちろん後者の場合となります。

というわけで、永代供養してもらったわけですが、お寺さんが、
「これで水子ちゃんは往生しましたよ。あ、成仏したわけじゃないんですよ。成仏なんてなかなかできるものじゃないですからね。往生するというのは、あの世の…そうだなぁ、ディズニーランドみたいなところに行って、そこで修行することになった、ということですね。」
と教えてくれました。
こちらを参照してみてくださいね。
http://www.higan.net/somosan/2011/12/post-13.html


あー、まだ書いておきたいことはあるんですけど、今日はここまでといたします~。
夕飯の準備しないと~。
17 : 34 : 03 | 神社やお寺 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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